2017年10月10日(火)。
檜意森活村の見学を終え、大通りを渡ってすぐ近くにある阿里山森林鉄道の北門駅へ向かった。
阿里山森林鉄道は本数が少ないので、乗客の人通りがあるわけではないが、駅を向かう歩道には風情を感じる心地よさがあった。
北門駅の左手前にある。中を覗いたが、何もなかった。ミニ鉄道が館内を走っている。
北門駅は1910年10月1日に開設された。阿里山のタイワンベニヒノキを建材に用いた典型的な日本式木造駅舎建築である。1973年の新駅舎供用後は使用されなかったが、新駅舎の取り壊しにより、再び駅舎として復活した。
1998 年5月16日に不審火により、右側の4割が焼失したが、タイワンベニヒノキを用いて修復し、同年11月7日に修復が完了した。その後、1999年の九二一大地震により一部損傷したが、補修されて、今日まで現役の駅舎として使用されている。
物産館でジュースを買って喉を潤した。
市立博物館の前を通ったが、開いていなかった。祝日は休館のようだ。
もとは、阿里山林業のため、台湾総督府殖産局により1913年に嘉義市初の鉄筋鉄骨コンクリート(SRC)造として建てられた建物で、火力発電所として使用された。戦後、発電設備は撤去され、2008年から木彫作品の展示館となった。
線路脇を進むと、すぐに阿里山森林鉄路車庫園区の入口に導かれる。
登山鉄道に適したシェイ式蒸気機関車などの車両が広い線路敷に展示されている。無料。
嘉義車庫園区は日本統治時代、北門修理工場であった。元の場所には1910年10月に平地区間開通時の北門機関庫が設置され、鉄道の施工が次々と拡張されるとともに、大正元年(1912 年)に正式に使用が始まった。主な仕事は阿里山鉄路の各種機関車、客車、貨車の建造と修理であった。
1993 年8月23日、北門修理工場で大火事が発生し、木造の工場が焼けて古い列車の一部も焼失した。2005年から嘉義車庫園区と改名され、自由に見学できるようになった。
1907年、阿里山林鉄の建設時、アメリカのライマ社から1両13tの蒸気機関車を導入した。一般の蒸気機関車と異なる点は、蒸気から動力を生み出すシリンダーが直立式に、また、生み出した動力は、傘歯車を介して車体から独立して動く台車上の車輪に伝える点で、急カーブを容易に曲がることができる構造になっており、特殊な設計は、山岳鉄道に不可欠な装備であった。
阿里山林鉄の開通後、ライマ社から次々と 18tクラスの蒸気機関車を8両、28tクラスの蒸気機関車を12両導入した。これら全てが直立式のシリンダーと傘歯車の設計で、これらの型式の蒸気機関車は、シェイ式(Shay-Geared)蒸気機関車とよばれる。
これ以降、ディーゼル機関車が主流となった。
現在の最新のディーゼル機関車は日本車両が設計したものを台湾の車両工場(台灣車輛)で製造している。
ディーゼル機関車を動力とする阿里山号の機関車は常に客車の嘉義(山麓)側に連結される。阿里山に向けて山を登る列車は機関車は一番後ろから客車を押し上げる形で、客車の先頭部(山頂)側には監視員が乗り込み後方の機関車運転士に指示をする。
これは、山頂側に機関車を連結して客車を引っ張る方式だと急な上り坂で万一の異常によって客車の連結が外れた場合、外れた客車は急な坂を山麓に向かって暴走する恐れがあり、それを防ぐための運行方式である。
嘉義車庫園区の南側の壁にはタイル製の説明板がある。
シェイ式蒸気機関車18号。奮起湖で保存。
シェイ式蒸気機関車12号。阿里山駅で保存。
シェイ式蒸気機関車31号。北門で保存。
ディーゼル機関車DL-25号。第3世代。1969年製造。
ディーゼル機関車DL-34号。第4世代。1972年製造。
檜意森活村へ戻り、バスで嘉義駅へ戻り、宿経由で文化路夜市へ向かった。
郭家の雞肉飯は人気がある。17時30分前に着いたので、人だかりはまだ少ない。
雞肉飯だけでは飽きるので、好味道の小籠包を食べた。美味いと思ったが、後日食べた「鼎泰豊」には負ける。