関西学院ランバス記念礼拝堂
関西学院大学の時計台と甲山。平成26年2月26日(水)・27日(木)に大阪・西宮を訪れた。26日は名古屋から大阪への移動だけ。27日は関西の近代建築の見学として、関西学院大学と旧甲子園ホテル(武庫川女子大学・甲子園会館)を訪れた。
きっかけは無料ポイントの失効が近くなったこと。ホテルズドットコムで無料分が3958円使用できたので、西中島南方の新大阪サニーストンホテルを450円を支払って予約した。駅から10分弱で、快適なホテルだった。
名古屋から大阪までの運賃が高いと意味がないので、ウィラーバスの片道1500円を利用した。往復とも3時間で到着し、問題はなかった。ただ、26日は12時過ぎの便で15時過ぎに梅田スカイビルに到着なので、観光する時間はない。
阪急中津駅から十三へ行き、「ねぎ焼きやまもと」へ十数年ぶりに行ったが、月2回の定休日に当たっていた。「ねぎ焼きやまもと」は90年代の終わりに、ANAの機内誌で知り、出張のさいも含めて数回食べている。お好み焼きでは、日本で一番美味い。27日も梅田店をトライしたが、場所が分からず、時間切れで断念した。
京阪神は、名古屋からは新快速利用でも充分日帰り観光できる。ホテルで宿泊してもいいと思ったのは、ホテルのWIFIを試したいことがあったから。CLUB NTT-Westの無料ポイントでWiTVを入手していた。
自宅のテレビや記録映像を外出先や海外で見ることができる。通常はスマホ利用で簡単のようだが、ネクサス7のWIFIタイプのため、セットに苦労した。
HPのFAQを見ると、PC経由と書いてあったのでトライすると、視聴できるようになった。ケーブルテレビのセットボックスを限定的ながら操作して、地デジ・BSを拡張ボタンから視聴できる。ホテルでWIFIを接続すると、確かに視聴できた。海外のホテルでもWIFI環境であれば可能ということだ。
自宅のテレビや記録映像を外出先や海外で見ることができる。通常はスマホ利用で簡単のようだが、ネクサス7のWIFIタイプのため、セットに苦労した。
HPのFAQを見ると、PC経由と書いてあったのでトライすると、視聴できるようになった。ケーブルテレビのセットボックスを限定的ながら操作して、地デジ・BSを拡張ボタンから視聴できる。ホテルでWIFIを接続すると、確かに視聴できた。海外のホテルでもWIFI環境であれば可能ということだ。
2月27日はほぼ一日雨だった。西宮市の阪急甲東園駅で降り、北へ坂道を登っていった。途中、穎川美術館がある。坂を上りきると、学園通りの向こうに甲山が見える。初めてだが、山容からして間違いない。甲山幼稚園事件を思い出す。阪急の小冊子に甲山山頂までのハイクコースが紹介されていたが、雨では面白くない。
正門ではチェックはなく、フリーで入構できる。1年前の早稲田も同じだ。オックスフォードもUCLAも自由に見学した。実は、神戸女学院も見学したかったが、事前に書類申請が必要のため、日時を要するため諦めた。女子大は当然ながら、簡単には入構できないのだろう。
関西学院の上ヶ原キャンパスの建物は建築家ヴォーリズ設計として有名である。「けいおん」の巡礼地として知られる豊郷小学校旧校舎もヴォーリズの作品である。近江八幡がヴォーリズの聖地であることは、30年以上前から知っているが、近すぎて見学していない。
時計台が象徴であるらしい。時計台は1929年(昭和4年)に図書館として建設された。南面を除いた三方に校舎が立ち、中央に広い中庭がある。この大学の建築スタイルは「スパニッシュ・ミッション・スタイル」といわれ、昭和初期に阪神間で流行したスパニッシュ風の住宅スタイルの元祖とも言われる。
中庭東の神学部・文学部棟。
周囲にはパームツリーが並び、アメリカ南部・西部にありがちなスペイン趣味を醸出しているのが面白い。中庭は、冬のせいか、学生がいないせいか、寂しい気配だ。日本のキャンパスには似合わない。
私の母校である名古屋大学も豊田講堂の時計台が一つのシンボルになっているが、何か味わいがない。建築家槇文彦の能力というよりも、名古屋の文化程度の浅さを反映しているということか。
関西学院の場合は、施主と設計者の文化的バックボーンがしっかりしている。
時計台。三層構成の座り心地が良い。2014年秋に博物館施設としてオープンするという。正面ロビーへ入ると、様々な小冊子を入手できる。
裏の図書館は学生でないと入れないので、北側から散策した。
周囲にはパームツリーが並び、アメリカ南部・西部にありがちなスペイン趣味を醸出しているのが面白い。中庭は、冬のせいか、学生がいないせいか、寂しい気配だ。日本のキャンパスには似合わない。
私の母校である名古屋大学も豊田講堂の時計台が一つのシンボルになっているが、何か味わいがない。建築家槇文彦の能力というよりも、名古屋の文化程度の浅さを反映しているということか。
関西学院の場合は、施主と設計者の文化的バックボーンがしっかりしている。
時計台。三層構成の座り心地が良い。2014年秋に博物館施設としてオープンするという。正面ロビーへ入ると、様々な小冊子を入手できる。
裏の図書館は学生でないと入れないので、北側から散策した。
図書館の西にある商学部棟方向。小川が流れていることに気づいた。
30数年前、京阪神Lマガジンを定期購読していた頃、キャンパスで開催されたアングラ演劇を見に来たのはこの関西学院だったような気がする。
30数年前、京阪神Lマガジンを定期購読していた頃、キャンパスで開催されたアングラ演劇を見に来たのはこの関西学院だったような気がする。
日本庭園。小川が流れた南の一段下に設けられている。大学構内としては珍しいのではないか。亀の首らしき石のある亀島が面白い。
ランバス記念礼拝堂。ランバスとは関西学院の創立者である。1959年、関西学院創立70周年を記念して建てられた。ヴォーリズの亡くなる5年前に設計された。
スパニッシュスタイルというが、アメリカのスパニッシュスタイルはもっとゴテゴテしている印象がある。日本のスパニッシュスタイルはおとなしい。
左の樹木の枝は申し訳ないが邪魔。
スパニッシュスタイルというが、アメリカのスパニッシュスタイルはもっとゴテゴテしている印象がある。日本のスパニッシュスタイルはおとなしい。
左の樹木の枝は申し訳ないが邪魔。
ランバス記念礼拝堂。中から音楽が聞こえたので、入ってみると、パイプオルガンの演奏をしていた。学校の式典とともに、結婚式場としても利用されている。メソジスト系らしく、簡素な室内。
ランバス記念礼拝堂。先生が学生を指導していた。3月1日に各学部のチャペルをはじめ各種式典などでオルガン奏楽を務めるチャペルオルガニスト13名が卒業演奏会で演奏するための練習のようだ。
甲東梅林。正門を出て、学園通りを通ると、左側の梅林から梅の香が聞こえてきた。中に入ると、梅が各所で咲き始めていた。
説明板があった。
現在の甲東園一帯は、大阪の豪商芝川又右衛門が明治17年に農地としてこの土地を開発し始めたことに始まる。ただ農地としては適性を欠いていたらしく、明治29年に果樹園を始めた。そして明治33年に、この果樹園が甲東園と名付けられた。
その後、この広大な農園である甲東園は、閑静な住宅街として発展していくが、その果樹園だった頃の名残が、甲東公民館にある甲東梅林という。
説明板があった。
現在の甲東園一帯は、大阪の豪商芝川又右衛門が明治17年に農地としてこの土地を開発し始めたことに始まる。ただ農地としては適性を欠いていたらしく、明治29年に果樹園を始めた。そして明治33年に、この果樹園が甲東園と名付けられた。
その後、この広大な農園である甲東園は、閑静な住宅街として発展していくが、その果樹園だった頃の名残が、甲東公民館にある甲東梅林という。
甲東梅林。甲東公民館の軒下から眺める。
公民館で文化祭催事が開かれていたので、受付の女性に、明治村へ移築された芝川又右衛門邸がどこにあったのか、尋ねると分からないという。職員の男性が来合わせたので、尋ねると、公民館のすぐ南にあったという。藤本義一氏も近くに住んでいて、女性は藤本夫人を知っているという。
2階のかな書道の作品を鑑賞して、芝川又右衛門邸の旧所在地を偶然ではあるが、尋ねることとした。
公民館で文化祭催事が開かれていたので、受付の女性に、明治村へ移築された芝川又右衛門邸がどこにあったのか、尋ねると分からないという。職員の男性が来合わせたので、尋ねると、公民館のすぐ南にあったという。藤本義一氏も近くに住んでいて、女性は藤本夫人を知っているという。
2階のかな書道の作品を鑑賞して、芝川又右衛門邸の旧所在地を偶然ではあるが、尋ねることとした。
上甲東園の住宅案内図。公民館付近に掲示してあった。芝川(又)という住宅名があるので、見当をつけて捜すことにした。
芝川(又)邸。分かりづらくて苦労した。芝川(又)邸ではあるが、旧芝川又右衛門邸がここにあったかどうか、確信はない。高台の縁の部分にあり、下界への眺めは良かったと想像できる。敷地は近隣の宅地よりも格段と広い。
現在、甲東園近くを通る阪急今津線は大正10年(1921)に開通していたが、当時甲東園には駅がなかったため、芝川又右衛門が駅の設置を阪急に依頼し、設置費用と周辺の土地一万坪を阪急に提供したという話を職員もしていた。
13時30分から旧甲子園ホテルの見学を予約しているので、最寄駅のJR甲子園口へ向かう。電車網は東西には便利だが、山から海方向へは移動が不便。甲東園駅から西宮北口駅まで乗車。JR西宮駅へ歩く。途中、業務スーパーでお握り3個を購入。1個48円とは安い。
現在、甲東園近くを通る阪急今津線は大正10年(1921)に開通していたが、当時甲東園には駅がなかったため、芝川又右衛門が駅の設置を阪急に依頼し、設置費用と周辺の土地一万坪を阪急に提供したという話を職員もしていた。
13時30分から旧甲子園ホテルの見学を予約しているので、最寄駅のJR甲子園口へ向かう。電車網は東西には便利だが、山から海方向へは移動が不便。甲東園駅から西宮北口駅まで乗車。JR西宮駅へ歩く。途中、業務スーパーでお握り3個を購入。1個48円とは安い。