旧甲子園ホテル(武庫川女子大学・甲子園会館)。平成26年2月27日(木)。午前の関西学院大学キャンパス見学を終え、1週間ほど前に予約しておいた午後からの旧甲子園ホテル(武庫川女子大学・甲子園会館)見学へ向かった。最寄駅のJR甲子園口から海側へ歩き、道を行きすぎて、橋のたもとに出た。これは間違ったなと、北西側へ振り返ってみると、写真で見覚えのある旧甲子園ホテルのタワーが聳えていた。
あとの説明によれば、設計者の遠藤新とホテル支配人の林愛作が橋のたもとから北を眺めた風景が良かったので、現在の場所を選定したという。偶然にもその場所から眺めていたわけだ。
施主であった阪神は南側の甲子園球場一帯をリゾート的に開発したくて用地を取得していたが、北側は持っていなかったので、余分な用地費用を迫られたという。
また、本来は南側が正面としてデザインされていた。
北へ戻り、東へ向かうとすぐに、正門があった。
あとの説明によれば、設計者の遠藤新とホテル支配人の林愛作が橋のたもとから北を眺めた風景が良かったので、現在の場所を選定したという。偶然にもその場所から眺めていたわけだ。
施主であった阪神は南側の甲子園球場一帯をリゾート的に開発したくて用地を取得していたが、北側は持っていなかったので、余分な用地費用を迫られたという。
また、本来は南側が正面としてデザインされていた。
北へ戻り、東へ向かうとすぐに、正門があった。
旧甲子園ホテル。国の近代化産業遺産、登録有形文化財。戦前は東京の帝国ホテルと並び称される国内最高峰の高級ホテルであった。昭和5(1930)年に竣工。しかし戦時中の19年には海軍病院として接収され、ホテルとして営業したのは、わずか14年。20年に米軍の高級将校用宿舎兼クラブになった。米兵のために約110人の日本人スタッフが働き、その中に若き日の横山ノックもいたという。昭和32年から大蔵省へ移管後、40年に武庫川女学院譲渡された。
設計は遠藤新で、帝国ホテルのライト館を手がけた米国の名建築家、フランク・ロイド・ライトの愛弟子である。したがって、デザイン的には首相官邸と同じライト式とよばれる建築様式が採用されている。
設計は遠藤新で、帝国ホテルのライト館を手がけた米国の名建築家、フランク・ロイド・ライトの愛弟子である。したがって、デザイン的には首相官邸と同じライト式とよばれる建築様式が採用されている。
ロビーのラウンジ。玄関から入ると正面にあるが、正面はふさがれており、狭い脇の入口から入るようになっていて違和感がある。
シャンデリアはほぼ原型だが、もとは2段だったという。
ここで、職員の人からガイダンスを聞き、引率されて説明を受けながら、内部を見学していく。
シャンデリアはほぼ原型だが、もとは2段だったという。
ここで、職員の人からガイダンスを聞き、引率されて説明を受けながら、内部を見学していく。
廊下にある柱と照明。帝国ホテルのものとほぼ同じだが、あちらは間接照明だったような気がする。
石材は日華石だったと思うが、石材の仕上げは手彫り。
石材は日華石だったと思うが、石材の仕上げは手彫り。
廊下から西ウィングのバンケットホールへ下りる階段部には変わった蹲踞が置かれている。実際に水を湛えていて、夏は涼しく感じることができるとは思う。上部の水溜りから下部側に水が滴り落ちるように切り込みが入れてある。
廊下のガラス。アールデコ風の意匠。背面には凹凸がある。白金台・旧朝香宮邸のルネ・ラリックが制作したエッチング・ガラスと似ている。
部材見本。黄竜山石と日華石。竜山石は古墳の石棺材として古代から使用されてきたが、当ホテルでは建物1階部分の階段、巾木などの補修部材として使用された。日華石も国会議事堂など使用されており、当ホテルでも主要な石材として使用された。
部材見本。ボーダータイルと装飾タイル。いずれも、鉄分を含んだ粘土を焼成している。鉄分の黒っぽい斑点が特徴。
壁面上部の彫刻は打ち出の小槌で、ホテルのデザインモチーフとして随所に登場する。
西ウィング・バンケットルーム天井周りの装飾は水滴をモチーフとしており、その厚みによる立体感には驚かされる。
やや、キッチュで悪趣味にも見えてくる。
やや、キッチュで悪趣味にも見えてくる。
西ウィング・バンケットルーム天井。市松格子模様。和紙を張った格子は高低が付けられ凹凸感が強調されている。
西ウィング外壁のレリーフ。変わったデザインをしている。アールデコの範疇ではない。人面のように見えてきた。象さんにも見える。
南側正面。列柱は下から上に外反している。軒や外壁は面合わせを無視したデザインになっている。
南側正面。タワーは煙突の役割を果たしていた。旗が掲揚されている先端の鉄柱は避雷針でもあった。オベリスクのような二つのタワーは何をモチーフとしたものだろうか。私には寺の東塔・西塔を模したのではないかと思える。
北側玄関上のカードルーム。貴賓室的な部屋。山本五十六も愛用した部屋と伝わる。窓は半円形で三方にある。
部屋を出ると、北向きにバルコニーがあり、欧州訪問のため神戸から出発した高松宮が観衆に手を振ったという。
部屋を出ると、北向きにバルコニーがあり、欧州訪問のため神戸から出発した高松宮が観衆に手を振ったという。
タワー。7つの庇が付いている。
屋上ニッチのレリーフ。深い窪みは打ち出の小槌などの写真用小物を置いたという説明だったが、ランプなどの照明を置いたのではないだろうか。
東ウィングの上階部。瓦が二重に葺かれている。棟飾りも独特の形をしている。
旧バーカウンターがあった部屋。カラフルなランダムな形状のタイルで床面をデザインしている。
大きさや色はさまざまで、恐らく余りものの施釉タイルを現場でパッチワークのように切り張りして施工したものらしい。
暖炉焚口の左下には、タイルで「1930」と建物の竣工年が記されている。
以上で見学を終了。見学が無料なので申し訳ない。もっと、見学者が増えて欲しいと思う。重文指定により、国庫負担が増えれば、補修費は軽減される。
JR甲子園口へ向かうと、人身事故で西宮方面は不通。大阪駅へ向かった。
大きさや色はさまざまで、恐らく余りものの施釉タイルを現場でパッチワークのように切り張りして施工したものらしい。
暖炉焚口の左下には、タイルで「1930」と建物の竣工年が記されている。
以上で見学を終了。見学が無料なので申し訳ない。もっと、見学者が増えて欲しいと思う。重文指定により、国庫負担が増えれば、補修費は軽減される。
JR甲子園口へ向かうと、人身事故で西宮方面は不通。大阪駅へ向かった。