復元された旧・新北投駅。
2017年10月19日(木)。
本日は、10月4日からの旅の最終日。疲れを感じたので、ゆっくり朝食ビュッフェを食べたのち、ふたたび新北投温泉の瀧乃湯で入浴した。2016年に来たとき、新北投駅復元の情報があったが、今回、駅を出て見渡しても分からなかった。復元駅が現駅の西隣にあり、温泉街と逆の方向なので視線に入らなかったためで、帰るときに気づいた。
復元駅舎に至る屋根付きの通路では大分県の温泉の女将たちが宣伝していた。
復元された新北投駅は、1916(大正5)年4月1日に開業した駅である。利用者増加に対応しようと1937(昭和12)年には拡張工事も実施。だが、1970年代末期になると温泉産業の衰退やバス路線の整備によって利用者は減少。MRT淡水線の建設に伴い、1988年に新北投線は廃線となり、同駅は解体。中部・彰化県の台湾民俗村に移されていた。
その後、2003年になると同駅の里帰りを目指す運動が始動。2013年、同駅が台北市に無償で提供されることが決まった。2016年に同市は1937年当時の姿の再現を目標に、元あった場所から約50メートル離れた場所で移築工事を開始し、開業から101年後の2017年4月1日に復元された駅舎が公開された。
建物の特徴として、屋根から突き出る四つの目玉のような天窓を持つ牛目窓と庇の下のブラケットの花の彫刻が印象的である。
日本統治時代に撮影された新北投駅の様子。
1913年に北投温泉公衆浴場と北投公園が建設され、新北投は観光名所となった。
1916(大正5)年4月1日に淡水線の支線として北投―新北投間が開通した。新北投停車場が設置され、のちに名称は「新北投駅」と変更され「新北投」の地名の由来となった。
新北投駅には転車台がなく、機関車の付け替えができないので、敷設当初から気動車(ガソリンカー)が導入されていた。
復元された旧・新北投駅。
駅舎は文化施設として使用され、駅の歴史を紹介する展示などが行われている。
復元された旧・新北投駅。
出札所の風景が再現されている。
「アイスモンスター」。
MRT新北投駅から乗車して「国父紀念館」駅で下車し、13時30分ごろ「アイスモンスター」でマンゴーかき氷を食べた。
「アイスモンスター」。日本の高校生団体が多い。
マンゴーかき氷。「アイスモンスター」。
250元。ふわふわのかき氷は癖になる触感だった。最近、名古屋の栄ラシックにも支店ができて話題になった。
台湾総督府および周辺の建物は次の機会にまわすことにして、その後、台北駅へ戻り、旧台北州庁舎(現・監察院)を見学した。
旧台北州庁(現・監察院)。台北市中正区忠孝東路。
1915年に創建された旧台北州庁舎で、現在は監察院として使用されている。監察院は中華民国における最高の監察機関として公務員・国家機関の不正に対する弾劾権・糾挙権の行使、及び各種国家機関の財政状況および決算等の会計監査(審計権の行使)など、国政調査を行う。
監察院の建物は日本統治時代には現在の台北市及び新北市にあたる地域の行政を担った台北庁(後年、台北州に改名)の庁舎として建てられた。台湾に現存する建造物の中で、最も完全な姿で残されているバロック式建築であるとされる。
設計は台湾総督府営繕課技師で辰野金吾の弟子である森山松之助で、当時流行した歴史主義建築が採用され、赤レンガと白い擬石の基調が特徴的である。
中央ドームは浅いドームのビザンティン様式、その両横に塔屋を従えた均整のとれたファサードとなっている。
建設は4期に分けられ、第1期は1913年、第2期は1915年4月23日に落成した。この段階では台北庁の会堂として使用されていた。第3期の1919年では東南部が完成、第4期の1920年に北部が完成し、台北州庁舎として供用された。
旧台北州庁(現・監察院)。
基本的には2階建ての庁舎である。ドーム屋根の左右下には中央部の欠けたペディメントと中央部の窓の間にはイオニア式の柱がみられる。
その下には3つのアーチ窓、トスカナ様式の八本柱のポルチコ、その両横には16~17世紀バロック建築の室内装飾に好んで用いられたカルトゥーシュcartoucheとよばれる長円形の装飾額がみられる。
両翼の建物棟の屋根にはマンサード屋根(腰折れ屋根)が採用されている。
旧台北州庁(現・監察院)。玄関。
1958年(民国47年)から監察院として使われ、現在に至っている。
玄関外にイケメンの守衛が立っており、毎週金曜日の8時30分から12時30分まで一般内部参観が行われると、教えてくれ、英文の建築案内リーフレットを渡してくれた。HPでは9時~12時、14時~17時となっている。
このあと、MRTに乗車し、中正紀念堂駅で下車し、やはり森山松之助の作品である旧台湾総督府専売局を見学した。