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グアム ウマタック メリッツォ ファハの受難碑 イナラハン タロフォフォ ジーゴ

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グアム島南部ウマタック湾のマゼラン上陸記念碑。2013年3月16日(土)後半。グアム島最高峰のラムラム山登頂を終え、島の南東方向ウマタック、メリッツォ、イナラハン、タロフォフォへ向かう。道路が丘陵地から海岸部へ下りるとウマタックに着く。ウマタック湾は世界初の世界一周を成し遂げたスペインの艦隊を率いたポルトガル人マゼランが1521年3月6日に上陸した地として知られる。パタゴニアから太平洋を横断したのち、飢餓にあえいだ末に発見した有人島であったが、島民がマゼランの船団を略奪したので、島民と小競り合いになったという。
韓国人のツアー客が桟橋からジェットボートに乗って湾を出ていくところだった。

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サン・ディオニシオ教会。海岸沿いの中心施設である教会では葬式が行われ、海沿いのテントで数十人が食事をしていた。教会の中に入ると、百人ほどの地元民で混雑していた。教会の海側にある駐車場には海を背にして十字架が建てられている。
グアム島の南東部は太平洋戦争で戦災に合わなかったため、スペイン時代からの史跡が多く残っている。

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旧サン・ディオニシオ教会跡。現在の教会の南に前身となった旧サン・ディオニシオ教会の跡がある。最初の教会は木造パーム葺で1680年に着工され1681年2月に完成した。1769年に煉瓦造に改造されたが、1779年と1849年の地震で崩壊と再建を繰り返したのち、1902年の地震による崩壊で放棄された。現在の教会は1939年に建設された。

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ウマタックの河口に架けられている橋。教会周辺は葬式のため駐車できず、南にある公園に駐車した。道路が湾に沿ってカーブする地点が湾に注ぐ二つの川の合流点にあたり、両側にタワーが聳えるスペイン風の瀟洒な橋が残っている。

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ソレダッド砦。橋を渡り、道路を進んで、標識から海岸方向へ進むと、海沿いの高台に設けられた砦に着く。スペイン統治時代、ウマタック村は1565年から1815年まで行われたマニラ・アカプルコ間の太平洋交易に携わったガレオン船の唯一の中継港として栄えた。18世紀後半から他国の海賊船の進出が顕著になり、ウマタック湾に3か所の砦が建設され、ソレダッド砦は1810年頃に建設されたが、1815年のメキシコ革命により交易が停止されると、荒廃した。
とんがり屋根の衛兵詰所、砲台、弾薬庫の跡が残り、復元された大砲も並べられて整備されている。

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ソレダッド砦からウマタック湾を眺める。対岸にはサン・ディオニシオ教会を望み、背後の山並みは左奥がラムラム山、中央がジュムラン・マングロ山。マゼランが訪れた時代の雰囲気も味わえる展望台である。
その後、南端のメリッツォへ向かう。

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メリッツォのカトリック墓地。メリッツォの町へ入る手前にあるということで、注意して車を走らせると、山側に墓地があった。日本軍によるチャモロ人虐殺の地である「ファハの受難碑」の入口で、受難碑は左奥の休憩所の裏から遊歩道を10分近く右方向へ登った丘陵地にある。遊歩道は整備されていて迷うことはない。

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ファハの受難碑。「グアムの血と砂」佐藤和正著によると、1944年米軍上陸直前の7月17・18日、日本軍は島民が米軍と内通していると疑い、チャモロの屈強な男30名を逮捕し、ファハで手榴弾と小銃で殺害したとされる。「グアム戦跡完全ガイド」小西誠著によると、日本軍はファハでの陣地構築のためチャモロの体格のよい男たち30人を強制動員し、作業終了後7月16日に殺害したという。妻が捜しにいったところ、夫の遺品はあったが、遺体は判別できる状態ではなかったという話が現地で伝わっている。

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ファハの受難碑。受難碑には犠牲者30人の姓名が刻まれている。戦争中、日本軍により約700名のチャモロ人が殺害されたという。ファハの事件直後、メリッツォ村の人々は直ちに日本軍に報復攻撃を行い、米軍の占領後もチャモロ人の多くは米軍に協力して日本兵狩りに参加した。

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ココス島行き桟橋。

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メリッツォの鐘楼。1919年に神父により建てられたベルタワー。

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メリッツォのエル・コンベント。1856年に建設されたグアム最古の僧院。カトリック教司祭の住居としても使用されていた。
東岸のイナラハンへ向かう。

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イナラハンの天然プール。海岸沿いにある名所。土曜日とあって賑わっていた。日本人のグループもいた。

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イナラハンの聖ヨセフ教会。スペイン様式の教会で1940年に建設された。もとは、1680年にスペインの総督が開村とともに教会を創建した。
教会奥の祭壇には、残置された米軍通信兵を匿って日本軍に斬首されたチャモロ人のデュエナス神父が埋葬されている。

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イナラハンのバプティスト教会跡。1962年の台風により破壊され荒廃し、ファサードの一部が樹木に覆われて残存している。左の広場には伝説の英雄ガダオ酋長の像があり、ガダオは真っ二つに割れたカヌーを独りで漕いでいる。

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ガダオ洞窟への遊歩道入口。イナラハン湾の北岸に古代チャモロ文化を代表するガダオの洞窟壁画が残されているという。幹線道路から入る標識は分かりにくいが何とか沿岸道路を進んで集落の中に入って迷った。地元の人に尋ねると、親切に車で誘導してくれた。沿岸方向へかなり戻って、沿岸に近い道路へ入ったが、案内標識はないので迷いやすい。しばらく進んでここで駐車しろと言われた。右側の細い道を進むと、確かに海岸沿いにある洞窟地帯に出た。

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ガダオ洞窟。多分これがその洞窟だろうという洞窟を15分ほど表側・裏側を隈なく探査したが、壁画は見当たらなかった。別の場所かも知れないし、剥ぎ取って保存したのかもしれないが分からなかった。

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ガダオ洞窟近くの海岸からイナラハンの聖ヨセフ教会方向を望む。ガイドブックによると、3500年前から古代チャモロ人がこの地域で暮らし始めたという。
探索に思わぬ時間を取られ、タロフォフォへ。

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タロフォフォ・フォールズ・リゾート・パーク。横井軍曹の洞窟レプリカがあることで有名。内陸に向かい、受付で20ドル支払い入場。これと言って目玉のない施設。ケーブルカーからは横井庄一氏が隠れ住んだジャングル周辺の地形を観察できる。

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横井軍曹の洞窟レプリカ。本物はここではなく、私有地にあり、現在は崩壊している。売店の脇から有料のモノレールがあるが、徒歩で10分もかからない。

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タロフォフォの滝。幅28m、落差12mでグアム最大の滝というが、迫力はない。日本人の青年グループに写真を撮ってほしいと頼まれた。

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ジーゴの山。タロフォフォから島の東岸を南から北まで走り、グアム大学へ立ち寄るつもりが、どこか分からないので諦め、日米両軍最後の激戦地であった高原山(サンタ・ローザ)を目指す。日本軍最後の司令部のあったマタギャックの海岸寄りに高い山があったので寄ってみたが、案内標識はないので、高原山かどうかは確認できなかった。

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ジーゴの山から島の北端リティディアン岬方面を眺める。右奥には当時白浜とよばれ、掃討戦で追い詰められた日本の軍民で溢れたタラギ・ビーチがあり、その手前には米軍アンダーソン基地がある。

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チャモロ料理。戦跡ツアーでレストランのリーフレットをもらい、その中でチャモロ料理の店がジーゴにあるので、夕食とした。幹線道路沿いの店で、テリーズ・ローカル・コンフォート・フッドという店。料理は8.5ドル。ビーフスープはスパイスが効いて美味かった。チャモロ風のライスも満足できる味だった。本格的なチャモロ料理ではなかったが、一日を締めくくるには充分な料理だった。18時30分を過ぎたので、タモンを通過する頃にはラッシュとなり、宿に着くころには暗くなっていた。
翌日もレンタカーでハガニアとアサンを中心に見学し、空港までの行程となった。

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