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Channel: いちご畑よ永遠に
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ベトナム ハノイ ホーチミン廟 ホーチミンの家 一柱寺 世界遺産タンロン遺跡

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ホーチミン廟。2013年1月22日(火)。ハノイの市内見学。ホーチミン廟は混雑するらしいので、早朝に見学することにして、ホテル前からタクシーを拾って、ホーチミン廟前に着き、長い行列に加わった。持ち物は預けさせられ、館内に入ると、話し声も禁止となる。ホーチミンの見慣れた白蝋化した顔を拝んで棺の前を通り過ぎた。レーニンの遺体はどうなっているのだろう。
ホーチミン廟の出口を出ると、ようやく重苦しさから解放されて、写真を撮ることができた。ここは「ホーチミンの家」入場口のすぐ手前に当たる。HISの日本人ツアー客たちと一緒に出てきたが、彼らは「ホーチミンの家」には入場せず、バスに帰っていった。ツアーは行動が限定されることを痛感した瞬間でもあった。

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「ホーチミンの家」。施設内には大統領府などもあって広いが、見学できるエリアは限られている。
順路をたどると、まずガレージがある。ソ連からホーチミンへ1954年に贈られた車。

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ベッド。1954年から1958年にかけて、住居・執務室とした建物。

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執務室。1954年から1958年にかけて、住居・執務室とした建物。

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池の向こうに1954年から1958年にかけて、住居・執務室とした建物が見える。外観はフランスの民家風。

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池の中央部。池の鯉はホーチミンが育てていたという。

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園内中央の高床式建物にある寝室。池を見下ろす位置にある。
「ホーチミンの家」を出て、南へ歩き、一柱寺へ。

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一柱寺。李朝の太宗が1049年に創建した楼閣。一本の柱の上に仏堂を載せている。
東へ歩いて、世界遺産タンロン遺跡へ。

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世界遺産タンロン(昇竜・旧ハノイ城)遺跡。ハノイは唐代には雲南と南シナ海を結ぶ交易路上にあったこともあり、安南都護府がおかれ唐による南方支配の拠点となった。11世紀の李朝はこの地を都と定め、以降、1802年に阮朝がフエに都を移すまで王都として繁栄。その間は昇竜(タンロン)、東京(トンキン)など様々な名で呼ばれてきた。
南西部にある入場口から入る。文化施設にはどこに行っても、盆栽が並んでいる。

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旧ハノイ城。端門。第一城壁に配されていた正門。

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端門。楼閣の上に登ると、中央に台がある。

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端門の楼閣から南を見下ろす。中央はベトナム軍事歴史博物館の国旗掲揚塔。
端門を下りて、城内を北へ歩く。

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タンロン遺跡は発掘調査中である。

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展示建物。城内にはフランス統治時代に建てられた建物が残り、展示室として利用されている。

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展示資料。

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敬天殿跡地。龍の手すりの石階段の上が皇帝の宮殿があったとされる一画で、現在はフランス統治時代にフランス軍司令部が置かれていた建物が残されている。
北京の故宮に比べると、石段の規模ははるかに小さい。

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後楼。敬天殿の楼閣として建てられ、王に仕えた側近たちに利用されていた。

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後楼の階上からの眺め。
ここで、Uターンして、入場口へ戻り、正北門へ向かう。正北門は後楼のすぐ北に位置するが、短絡路がないので遠回りにならざるを得ない。

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正北門。805年に建てられ、第二城壁で現存する唯一の門。門の左下には1882年、ホン河に停泊するフランス軍の艦艇から放たれた砲弾の跡が残されている。
帝国主義の時代の砲艦外交の跡を間近に見ることができる。

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正北門。内部。

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正北門。階上にはフランス軍と戦った英雄が祀られている。
昼食を近くの屋台で食べて、南のベトナム軍事歴史博物館へ歩いて向かった。

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