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読書メモ 「乱菊物語」 谷崎潤一郎 兵庫県室津が舞台

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谷崎潤一郎の「乱菊物語」。昭和51930)3月18日から同年9月6日まで約半年にわたって東京・大阪の朝日新聞夕刊に連載された。この作品の直前には、『蓼食う虫』『卍』があり、またこの作品の直後には、『吉野葛』『盲目物語』『武州公秘話』がある。昭和24年創藝社刊を読んだが、マイナーな作品といえる。
 
中公文庫版で現在も刊行されており、アマゾンには「戦乱の室町時代、播州の太守赤松家と代官浦上家の深刻な確執、謎の海龍王と遊女かげろうの伝奇物語など、史実、伝説を題材として、自在な想像力で描き上げた異色の娯楽大作。後篇を待たれながら、なぜか前篇で中断されている。」と紹介されている。
 
谷崎潤一郎の小説は30年近く前に「細雪」を読んで、人間模様の描き方に感心を覚えたが、この小説は全くの別物。娯楽小説・エンタテイメントで、ストーリー展開に引き込まれてしまう面白さがあった。新聞連載なので、一般読者を飽きさせない工夫をしたようだ。そのせいか、昭和31年に池辺良、八千草薫主演で映画化されている。もっとも、映画は室津のみを舞台にしており、脚本も随分改変されている。
 
作品の舞台は兵庫県の室津を主に、家島諸島、播州平野、京都などに広がっている。室津は、兵庫県たつの市御津町に属し、播磨灘に面する港町である。古代から瀬戸内海交通の要衝であるとともに、井原西鶴が「好色一代男」で、「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起りて、いま国々になりぬ」と語っているように、遊女町としても有名であった。
 
小説の女主人公は、かげろふといい、花漆という室君の伝説から採ったもので、小説中の小箱とか蚊帳とかの逸話は、谷崎の独創ではなく、『播磨鑑』の記事を題材にしている。年譜によれば、この作品執筆のために、谷崎は昭和52月に播州へ来て、室津から家島諸島を取材している。
 
耽美主義・モダニズムな作品を書いていた谷崎は関東大震災(1923)を機に関西に移住し、関西の風土にふれることによりしだいに伝統文化と古典文学に眼を開いていく。『源氏物語』の現代語訳や大作『細雪』はこのような背景のなかから生まれ、「乱菊物語」はまさに谷崎の古典回帰の先駈けになる作品といえる。 
 
時代背景は永正年中とあり、作品後半の赤松義村の正室と義母の洞松院の会話に義村の嫡子晴政が生まれて23年とあり、晴政の生年が永正101513)年とされるので、1515年頃の話としておけばよい。
 
発端。 明の貿易商張恵卿は室津の長者で遊女の陽炎(かげろふ)のもとへ、一夜の契りを約束する珍宝「羅綾の蚊帳」を金の函に入れて持参しようと、瀬戸内海を航行していた。かげろうの腰元うるめが小舟で先導して、室津に近づいた夜、女の声や楽器の音とともに船幽霊とされる美女が現れ、家島群島の方角へ船を誘導し、船は沈んだ。
それから少し過ぎた頃、腰元うるめが乗る小舟が家島から室津を目指したが、手前の唐荷島あたりから現れた一艘の小舟に乗る男に、うるめは斬られ、持っていた珍宝の函を海中に投げ込んだ。
 
<書写山の開祖性空上人と普賢菩薩の化身とされる遊女花漆の説話が紹介されている。山口県光市室積の普賢寺にも同様の説話が残っていた。>
 
二人侍。播州の太守赤松家(赤松義村、作中では上総介)の家臣久米十郎左衛門と守護代浦上掃部助(村宗)の家臣沼田庄右衛門は、京へ行き、主人の求めにより、公家の娘を妾として連れ返る競争の旅に出た。
当時、公家も生活に困り、娘が地方の大名の側室になる例が多かった。十郎左衛門は清水のお堂にでかけ、参篭している飛鳥井家の姫を知る。庄右衛門も京の遊女町の口入屋の婆さんに紹介を依頼した。
 
海島記。室津の沖合にある唐荷島。アシカと馬の間にできた獣・海鹿馬を水陸両用乗り回す男・鮪(しび)六が、金の函を腰元うるめが海へ投げ込んだ辺りを捜し回っていた。その様子を島で見守っていたかげろふの腰元千鳥は鮪六と落ち合うと、怪しい男が海中を捜していたと話し、夥しい唐錦と手紙を家島へ届けるよう言付けた。
鮪六が家島群島西島に近づくと、張恵卿の船が停められていた。船からは50ほどの死体が運ばれ、島の人食い沼に沈められた。
その指揮をとっていた頭目が、家島の飯盛山城主の苦瓜元道である。苦瓜氏は関銭収入で潤っていたが、裏の顔は海賊であった。苦瓜元道は室津の祭礼の日に、赤松・浦上が陽炎を争うことを予想し、作戦を練る。
陽炎(かげろふ)は小五月の祭礼の日に珍宝を持参したものに身を任すと触れを出す。と、3日後、海龍王なるものが珍宝を得たと、貼り紙を出したため、人々が騒ぐ。
<アシカと馬の間にできた獣が出てきた時点で、谷崎の作品かと疑った。短歌と漢文の素養がないと、小説の小道具を作れないとも思った。>
 
燕。京の三条河原で十郎左衛門は幻阿弥法師が桶から物を出したり、鼠に化ける幻術を披露し、金を稼いでいる光景を眺めていた。
嵯峨の清凉寺辺りに飛鳥井卿の姫が住む屋敷がある。十郎左衛門は姫君を見るために、お付の者に金品を渡すが、なかなか会えない。すると、同じ屋敷に庄右衛門も口入屋の婆さんに連れられてやってきた。庄右衛門は大金を出して、姫が風呂に入る所を眺めることになり、湯屋に入ると、蒸し死にしそうになり、忍び込んでいた十郎左衛門共々湯屋から飛び出した。一部始終を見ていた十郎左衛門の供の者が全ては仕組まれた詐欺であったと告げる。
 
小五月。祭礼の盛んな事は都の葵祭にも劣らない。都からは上加茂の神官鳥居大路氏が下向して来る。日が迫ると、内海沿岸の津々浦々から押し寄せる船は港の口を塞いでしまい、それらが運んで来る数限りもない諸国の見物人が、狭い町中に充満する。
平素は室の長者として、それこそ神殿の御神体のように御簾の奥深く垂れこめている女、その分際でない者には黄金の山を積んでさえも容易に顔を見せない女、美貌の噂の隠れない女、――その人が古えの花漆の姿を現じて、七年に一度の祭の行列の中心になる。
そこへ持って来て今度の祭が未曾有な事件になりそうだと云うのは、例の立て札に貼り付けられた「海龍王」の予告である。
赤松の殿様の一行は祭の二日前に置塩の城を立って、港の北の山の上にある室の津の城へ這入ったが、浦上父子は一旦置塩から備前の国三石の居城に帰り、此処で勢揃いをして船で乗り込んで来た。
当日、かげろう御前と十二人の傾城の行列が辻のまん中へ歩みを運んだとき、明神の森の方から、一羽の鳩が羅綾の蚊帳を咥えて近づき、クチバシから離すと、蚊帳は舞い降り、そこには、海龍王が後日、証拠の金の函を持参すると書いてあった。
数日後、金の函を手にして現れたのは幻阿弥法師であった。
 
室君。陽炎の館には、赤松上総介、浦上掃部助らが居並んでいた。そこへ幻阿弥法師が引き立てられる。結局、幻阿弥法師が陽炎の婿になることになり、婿取りの儀式を挙げる運びになった。幻阿弥法師は幻術を使って莫大な引き出物を桶から取り出していった。
祝言の席に異議を唱え乱入したのは、海龍王を名乗る貴人の衣装をまとった若武者であった。海龍王が陽炎に迫ると、陽炎は約束を反故にした。海龍王は陽炎に斬りかかるが、陽炎は身軽に身をかわしていった。海龍王は赤松・浦上の侍たちと斬り合いになり、庭へ追い込まれた。
すると、海賊の苦瓜元道が数十人の部下を伴い、勝手に海龍王の味方になりたいと助けに来た。
と、同時に、津の港一帯に海賊が暴れ回り、群集から略奪をほしいままにした。
海龍王は、部下になりたいという苦瓜元道を振り切って、立ち去った。
 
むしの垂れ。浦上の重臣宇喜多能家は、事件の首謀者は陽炎であろうと気づいた。しばらくして、京へ妾を捜しに行った二人から整ったと連絡がきたので、上総介と掃部助は置塩城へ帰り、妾の見せ競べをすることにした。場所は上総介の家臣久米十郎左衛門の屋敷となった。上総介の妾になった胡蝶姫の美しさに一同息が止まった。掃部助の妾が顔を見せないので無理やり被衣を取ると、鼻に腫物があった。庄右衛門は掃部助に足蹴りにされると、そのまま逐電してしまった。
困窮していた幻阿弥法師が十郎左衛門の前に現れると、工作をするように命じられ、鼻に漆を塗ったのであった。
 
夢前川。置塩城内では赤松上総介の義母洞松院と娘の正室が語りあっていた。醜女との評判だった洞松院は娘が可愛い。その娘は夫が嫌いであり、側室を認めていた。浦上掃部助は恥をかかされたため、復讐の計略を練った。掃部助は洞松院を訪ねると、上総介を廃嫡して孫に継がせたいと打ち明けられ、掃部助は胡蝶を上総介から引き離すことを告げた。
しばらくすると、胡蝶は何者かに連れ去れた。上総介は悲嘆にくれるが、近習の陶山彌四郎が掃部助の居城三石城に連れ去られる途中の胡蝶を発見した。
<この章になると、急にテンポが落ち、内容も詰まらなくなる。赤松義村が三石城の浦上村宗を攻め、逆に負けて、廃嫡され暗殺されたという歴史的事実はある。>
 
昭和5年は千代と離婚。離婚および千代の佐藤春夫への再嫁の旨の挨拶状が有名になり、細君譲渡事件として騒がれたときであった。

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