Quantcast
Channel: いちご畑よ永遠に
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

台北 国立故宮博物院 その4 王羲之「快雪時晴帖」 清代貴族の家具

$
0
0

イメージ 1
「居間」。「貴族の栄華・清代の家具展」国立故宮博物院。
20171014日(土)。
 
イメージ 2
「居間」。

イメージ 5
「居間」。清代の家具。
1.如意雲紋束腰月牙桌。長95.1cm、幅47.5cm、高95.1cm
これは半円形の月牙桌である。牙條と足四本は簡単な回紋で飾られているが、托泥架は亀裂の入った氷のような紋様となっている。素朴さをかもし出し、一種溌剌とした味わいが生じている。
民間の木工による専門書「魯班経」の明朝万暦増修本「魯班経匠家鏡」の中に、「両側半分を作って、合わせれば一般的な大きさになる。」とあり、この種の月牙桌も二卓を合わせて使用したものであることがわかる。
 
2.雲龍紋亮格櫃(二点)。長95.8cm、幅42.2cm、高193.8cm
3.雲龍紋束腰羅漢床。長200.8cm、幅25cm、高104.2cm
4.雲龍紋炕几。長44.2cm、幅79.3cm、高31.3cm
5.百宝嵌山水人物図挿屏(二点)。長134.1cm、高125.8cm
6.夔紋束腰四方几(二点)。長59.6cm、幅59.6cm、高50.7cm
7.雲紋束腰八角桌。長91cm、幅74cm、高78.8cm
8.鏤彫雲蝠紋五屏式扶手椅。長59cm、幅47cm、高96.2cm
 
イメージ 3
「貴族の栄華・清代の家具展」。
国立故宮博物院では、清代恭親王府に置かれていた紫檀家具を収蔵している。紫檀は古来より高級木材とされ、丈夫で重々しさがある。色合いは黄花梨のような華麗さはない、厳かで、人に落ち着いた印象を与える。これらの家具はすべて恭親王府に置かれていたものであるが、作られた時代は17世紀~19世紀を跨いでおり、セットで作られたものではない。

当展覧では様々な組み合わせを好む現代の風潮に沿って、賑やかな居間と静寂な書斎の二つの環境を設定し、これらの家具をそれぞれ組み合わせて、置いている。また、清代院画の中の情景を参考に、各スタイルの書画、文房清玩、置物を採り入れ、その役割がぼやけてしまった文物を本来あるべき位置に設置し、展示している。
 
イメージ 4
恭親王。愛新覚羅奕訢(えききん
1833年~1898年)は、第8代皇帝・道光帝の第6子。

 

イメージ 6
書斎。清代の家具。
 
イメージ 7
書斎。清代の家具。
1.夾頭榫雲蝠花卉紋平頭案。長257.8cm、幅53cm、高89.4cm
2.雲龍紋小櫃(二点)。長39cm、幅20cm、高54.4cm
3.西洋式葉紋束腰長方几(二点)。長41.7cm、幅43cm、高83.4cm
4.雲龍紋束腰宝座。長116.8cm、幅84cm、高102cm
5.西洋式葉紋束腰脚踏。長64.6cm、高32.5cm
6.雲龍紋画桌。長189.5cm、幅88cm、高84.2cm
7.如意雲紋束腰長方凳(四点)。長46cm、幅36.5cm、高51cm
伝統的な家具は「束腰」と「無束腰」の二体系に大別できる。いわゆる「束腰」とは、家具の一部にすぼまった箇所があり、一般に面板のふちと牙條の間にそれが見られる。また、束腰の家具は通常足の下端にふくらみ、または反り返っった部分があり、これは伝統的家具における造型上の規則といえる
 
8.雲龍紋方角小四件櫃(二点)。長43cm、幅17cm、高67.2cm
 
イメージ 8
王羲之「快雪時晴帖」。「特別展
国宝の誕生-故宮書画精華-」(2017/10/04 ~ 2017/11/14)。
冊、紙本、縱23cm、14.8cm。複製品。
「快雪時晴帖」は王羲之による尺牘(書簡)で書聖王羲之の神髄を今日に伝える名品の一つである。主に行書で書かれているが楷書の謹厳さも見られ、緩急ほどよくゆったりと鷹揚な風と流麗かつ秀美な趣がある。
 
「快雪時晴帖」は右側の4行で、「羲之頓首快雪時晴佳想安善未果為結力不次王羲之頓首山陰張侯」。「羲之頓首」に始まり、時候の挨拶に続いて相手の安否を気遣い、要件を済ますといった、形式通りに書かれた手紙文3行と「山陰張侯」(宛名)からなる。
「快い雪が降り、時には晴れ、あなた様にあっては恙なくお過ごしのことと存じます。さて、お約束の件については力及ばず、お約束を未だ果たしておりません。」
 
王羲之(303361年)は、中国東晋の政治家・書家で、魏晋南北朝時代を代表する琅邪郡(現在の山東省臨沂市の門閥貴族琅邪王氏の出身である。
書を学ぶにあたっては当代から古代へとさかのぼり、秦代の篆書や漢代の隷書など異なる筆法を行草書体中に融合させ、最も優れた書体を完成させた。
王羲之の書の名声を高めたのは、唐の太宗の強い支持と宋の太宗により編纂された『淳化閣帖』の影響が大きい。その書は日本においても奈良時代から手本とされてきた。
 
王羲之の真蹟は早く失われてしまい、現在、王羲之の書とされているものも、唐代以降に模写したものと、石版や木板に模刻して制作した拓本のみであるとされている。
王羲之の作品としては行書の『蘭亭序』が最も高名であるが、唐代に精密な双鉤填墨等の手法により模写されたものとされる「快雪時晴帖」は、古くは唯一の真筆と考えられ、王羲之の書法を理解する上で最も重要な視覚的資料とされてきた。
 
この作品は状態も極めてよく、流伝の経路も明らかで、南宋高宗や金章宗、元内府のほか、明代の著名な収蔵家の収蔵印も見える。
清の乾隆帝が、本帖を王献之「中秋帖」、王「伯遠帖」と併せて珍重し、この三帖に因んで自らの書斎を「三希堂」と名付けた事で有名である。
 
左側上部にある「神」という字は、初雪が降ると必ず「快雪時晴帖」を出して眺めたという乾隆帝により草書体で書かれたものである。
左の跋文は元代を代表する文人の趙孟頫(1254-1322)の書。趙孟頫は浙江呉興(現在の浙江省湖州市呉興区)の人。宋宗室の末裔で、元朝に出仕して翰林学士となった。書画ともに優れ、世に冠絶した大家として名高く、元代美術界の領袖的存在であった。
 
イメージ 9
王羲之「快雪時晴帖」
キャプション。帖の一部。下は「唐人宮楽図」の一部。
「唐人宮楽図」。
この作品は横長の画面となっているが、おそらく宮中で使用されていた装飾用屏風の一部を掛け軸に表装したものと思われる。後宮の女性たち10人が長方形の大きな机を囲んで腰を下ろし、お茶を飲んだり、「酒令」という遊びに興じたりしている。画面上部に描かれている4人は篳篥や琵琶、古箏、笙などの楽器を奏で、雰囲気を盛り上げている。

作者の名款はないが、人物の様子やふくよかな体つき、衣服や髪の結い方などを見ると、全てが唐代女性の好んだスタイルや流行に合致する。張萱か周の画風に影響を受けた画家の手による作と推測できる。本院所蔵品の中で一千年以上前に描かれた貴重な作品の一つで、唐代晩期の宮女たちの姿が最もよく表現された名作である。


永津禎三氏は、「唐人 宮楽図」は唐時代の図柄といわれるが、これは写しで、制作されたのは宋の時代であり、「つくり絵」の技法とは別の、後世の絹絵技法であるとする。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 1170

Trending Articles