晋 青磁印紋盤口双繋壺 265~420年。国立故宮博物院。
中国歴代陶磁。三国・南北朝・唐・五代・遼(265~1125年)。
2017年10月14日(土)。
三国〜南北朝時代の陶磁。漢代に発生した青磁は、この時代にも引き続き製作された。この時代の青磁の現存するものは、ほとんどが墳墓に副葬された明器である。
南朝 青磁刻花蓮紋盤 青磁灶 420~589年。
灶は、かまどのことである。
南北朝時代の南朝においても青磁は焼造されているが、呉・西晋時代に作られたような明器用の特異な器種は姿を消し、盤、壺、瓶といった実用的な器種のものがもっぱら作られるようになった。
唐三彩増長天王像 8世紀前半 佐藤栄作夫人(子)1982年寄贈。
唐代の墓中に守護神,避邪の役割を持ち納められた。
三彩とは低火度焼成(700 - 800度前後)の鉛釉陶器で、白化粧(白色の化粧土を掛ける)した素地に透明釉、緑釉、褐釉、藍釉を掛けて文様を表す。酸化銅を呈色剤に用いると緑、酸化鉄を用いると褐色、コバルトを用いると青(藍色)に発色し、透明釉を掛けた部分は白色になる。
唐の時代、貴族や高官たちの葬儀の際には多くの副葬品を共に埋めるのが習わしであった。当時「競って厚葬をなし、偶人象馬 雕飾生きているが如し 徒に路人を耀する」とある。こうして見ると、厚葬が盛んだった情況に於ける大量の装飾品や華美な作品も、産まれるべくして産まれたものと思われる。盛唐時の三彩陶俑は貴族、高官たちの生前の輝かしい政や地位を経たことを表し、墓の主も生前の権勢や富を死後の世界に再現したいとする意図を託したものである。
唐 三彩 馬球仕女俑。高さ32㎝。
本品はポロを楽しむ女性像である。仕女は宮廷に仕えた女子をさす。唐代は女性が自由で開放的な時代だった。ベストのようなものを着て、ファッションを楽しんでいる。胸のあたりの朱色が鮮やかに残っている。顏などの皮膚が露出している部分は蝋を塗り、色が付かないないようにして焼成し、胎土の色を残している。
唐 三彩 文官俑。高さ71.2㎝。大野万里寄贈。
三彩の釉は流下しやすく、完成品では釉の流れや滲みを逆に装飾的効果として生かしている。人物の顔は施釉されていない。
唐 三彩単耳小杯。 林柏寿寄贈。
唐 邢窯 白磁穿帯壺。高20.2㎝。
唐代には「南青北白」と称されるように、華南で青磁が焼かれるとともに、華北では主に白磁が製作されていた。白磁は、北朝時代から続く邢州窯(河北省邢台市臨城県・内丘県)や定窯(河北省保定市曲陽県)などで生産された。邢窯白瓷は胎質細緻,釉色潔白純淨と評された。
穿帯壺の造形は北方遊牧民が紐を通して携帯する金属製・皮製の水壺から採られた。
唐 黒釉藍白雲紋双繋執壺。
晩唐 長沙窯 青釉褐緑彩絵碗 9世紀。沈船出土。林宝桂寄贈。
長沙窯は湖南省長沙市に位置し、国外輸出用の陶器を大量生産した窯として知られる。この窯の典型的作品は黄釉陶で、器形は水注が多い。
技法面で注目されるのは釉下彩で文様を表していることである。素焼きした胎土上に絵付けし、その上から透明釉を掛ける場合を釉下彩という。長沙窯では釉下彩としてコバルト、鉄、銅の3つとも使用しており、釉下彩の早い例として注目される。
長沙窯の黄釉陶は精作ではない大量生産品ではあるが、貿易陶磁として各地に運ばれ、日本、東南アジア、西アジアなど各地の遺跡から出土する。
遼 三彩海棠式印花盤。916~1125年。
五代から北宋の時代に北方に栄えた契丹族の国家・遼では、遼三彩と呼ばれる三彩陶、白磁、鉛釉陶(緑釉、褐釉)などが焼成された。
白磁の産地である定窯が所在する定州の地域は、10世紀半ばに遼に占領され、遼は定窯の陶工を自国に連行して作陶させたという。
五代 越窯 秘色青磁洗。907~960年。高さ10.3㎝、径30.7㎝。
折沿とよばれる折れた縁をもつ盥(たらい)の一種である。青みがかった明るい青は「秘色」とされ、宮廷が独占した。
五代時代の南方の青磁では浙江の越州地域が依然として磁器産業の中心となっていた。唐中期以降、越州の上納用磁器は「秘色」と称され、五代呉越の王室はこの窯場を監督下に置き、磁器産業の精緻化と普及化に寄与した。
新興の茶文化では、邢窯の白磁を「銀の如く、雪の如く」、越窯の青磁を「玉の如く、氷の如く」と形容し、磁器の鑑賞美学が既に一つのテーマになっていたことが知られる。
五代~北宋 越窯 青磁刻花蓮弁罐。10世紀。寥玉桜寄贈。