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台北 国立故宮博物院 その8 宋 定窯 汝窯 官窯  

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北宋 定窯 龍口執壺。
10世紀。国立故宮博物院。
中国歴代陶磁。宋。定窯 汝窯 官窯。
20171014日(土)。
 
執壷(しつこ)とは、片口水次のことで、古代中央アジアにおいて洗面や酒などの液体を入れるために用いられていた盛水器の造形がもとになっている。
 
定窯は中国古代の定州一帯で生産された磁器であり、中でも白磁は宋代から高く評価されている。定窯が焼かれた地域は、現在の河北省曲陽県内に存在していたことが考古学的発見で分かっている。定窯は唐代に始まる。早期の白磁は金属器の影響を多分に受けている。「官」や「新官」の款識が入った定窯磁器は朝廷に供されたものと思われ、中唐、五代の頃の定窯には磁器焼成の監督、または税徴収を行う窯務官が置かれていたと文献や碑文に記されている。
 
宋、金の時代になると定窯の窯業技術が進歩し、例えば石炭を燃料としたり、器物を上下逆さにして焼く覆焼技法により質を改善したり、或いは劃花(彫り文様)と印花(型押し文様)で器表を装飾するなど、どれも定窯の特殊性を形成する変化であった。これらはいずれも磁器の大量焼成と一定品質の維持を可能にするものであり、国内外の広大な市場への供給を実現した。
北宋や金代の宮廷用器として献上されたばかりでなく、地域を越えて大遼と南宋の墳墓からも多く出土していることから、定窯は「天下第一」の誉れを得た。
 
北宋の定窯白磁は、わずかに黄色みを帯びたクリーム色の釉色が特色である。この釉色は焼成の燃料が薪から石炭に変わり、酸化炎焼成になったことで得られたものとされている。
鉢、盤などは、伏せ焼きにしたため、口縁部が無釉となっており、無釉部分に金属の覆輪を施すものがしばしばみられる。
 
国立故宮博物院のコレクションには定窯系の磁器が八百点近くあり、その多くに文様が入っている。流麗な彫り文様と錦のように複雑で華麗な型押し文様のどちらにも、宋人の装飾文様に対する豊かな発想をうかがうことができる。
 
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北宋 定窯 白磁蓮弁碗 底刻「官」款。
10世紀。高11.0㎝、径19.2㎝。
宮廷で使うために焼成される器には「官」の字が刻まれた。本品も高台底部に刻まれている。
蓮の花がいままさに開いたかのような碗は愛らしくも気高い雰囲気に満ちている。腹部に外側に開いた花弁が11枚。そのあいだに花芯が線刻されている。
 
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宋 定窯 画花蓮紋長頸瓶。
12世紀。高25.2㎝、径6.6㎝、底径6.2㎝。
11世紀半ば頃、定窯の職人たちは「劃花」と呼ばれる装飾技法を用いるようになった。幅広の彫刻刀を斜めに当てる片切彫りと回鋒により、毛筆の筆遣いを思わせる線を素早く表現するほか、櫛状の道具を用いて主文様から平行に複数の線を描き出し、花や葉の豊かさや水の流れを表現した。
 
画花による装飾文様の中で最もよく見られるのが蓮花や忘れ草で、器体表面にあしらわれた花びらや葉が優雅で多様な表情を見せ、素早くソフトなタッチで大自然の素晴らしさを表現している。
 
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北宋~金 定窯 盤口紙槌瓶。
12世紀。
紙槌瓶は、紙の原料を打つときに用いる槌のような形から名付けられた。箱型の腹部と細長い首をもった瓶のことを指し、日本では砧青磁が有名であるが、本品は丸みを帯びているので蕪形花入の形をしている。
イラン、エジプト及びガラス工芸が創意の源となった紙槌瓶は、11世紀初期ごろに中国に伝わった。9世紀から10世紀にかけて流行した中東地域の紙槌瓶は、酒、油、薔薇水の入れ物として使われたが、陶磁器職人により模造された紙槌瓶は、置物や賞玩物として使用された。
 
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北宋 汝窯 青磁紙槌瓶。「奉華」銘。
11世紀後半~12世紀早期。
底部に刻まれた「奉華」の文字と、南宋高宗の愛妃-劉貴妃の宮殿の別名が奉華であったことから南宋の皇室に収蔵されていたと考えられる。
 
河南省宝豊県清涼寺の窯場で焼成された汝窯は、端正で上品な形と潤いのあるすっきりとした釉色により、数多くの青磁器の中でも群を抜き、宮廷御用達の磁器となった。汝窯磁器が使用されたのは、北宋哲宗から徽宗(1086-1106)の20年間で、期間は短かかった。
 
汝窯磁器の釉色は極めて独特で、緑がかった青色に、控えめに輝く淡いピンク色の光沢を帯びており、「天青色」、「雨上がりの空の青さ」、「淡い青色」と形容され、観賞家にとってはすべての青磁を超える最高の磁器であった。
 
汝窯の神秘でユニークな澄み渡る青空のような釉色については、宋代の文献に、汝窯には豊富な瑪瑙末が含まれていると記載されている。瑪瑙は石英の一種であり、二酸化ケイ素が沈殿したものである。釉薬の中に瑪瑙末を加えても、磁器の釉色、質感、貫入には影響しないものの、器の表面にはきらきらと輝く淡いピンクの光沢が見られる。
 
磁器の完璧な質感を追求するため、数多くの汝窯は支焼満釉により焼成されている。これは制作時に底部の釘で本体と匣鉢を隔てるだけの焼成法で、磁器の変形を防ぐと同時に、釉薬を器全体にまんべんに行き渡らせることができる。完成した汝窯の底部には釘の痕がゴマ粒のように付いている。
 
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南宋 官窯 青磁弦紋樽。
1213世紀。
南宋官窯も汝窯とならび青磁の名窯として知られる。南宋時代には、都の置かれた臨安(現在の浙江省杭州)の官窯で青磁が焼かれた。まず修内司(しゅうないじ)に、のちに郊壇下(こうだんか)に官窯が置かれたとされており、郊壇下官窯は昭和5年(1930)に杭州南郊の烏亀山山麓に、修内司官窯は平成8年(1996)鳳凰山北麓の老虎洞に発見されている。
 
南宋官窯では鼎、方鼎、鬲、觚、尊、簋など商周代青銅礼器の主要な器種を忠実に再現している。明るい色の青磁を焼き、造形のほとんどは古玉や青銅器を模しているのが特徴である。汝窯よりもやや強い貫入は、氷の亀裂のように美しい。いずれの窯の青磁も、鉄分を多く含む陶器質の黒い胎土が用いられ、これに厚く青磁釉を掛けることによって深みのある青に発色し、胎土と釉の収縮率の違いから、器面には細かく貫入が生じている。
 
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南宋 官窯 青磁式瓶。
12世紀。高18.8㎝、徑12.8㎝、底徑12.4㎝。
この瓶は玉器のをかたどっており、威厳に満ちた、重厚な気分をそなえている。日本に輸入されると、「経筒」形とよばれ、茶道では水指として使われた。
 
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南宋 官窯 青磁簋(き)。
1213世紀。高12.7cm、径17.5cm
南宋官窯では鼎、方鼎、鬲、觚、尊、簋など商周代青銅礼器の主要な器種を忠実に再現している。明るい色の青磁を焼き、造形のほとんどは古玉や青銅器を模しているのが特徴である。汝窯よりもやや強い貫入は、氷の亀裂のように美しい。
本品の耳は玉の耳飾りを象っており、全体の器形は西周前期に見られる青銅器を模したものである。
 
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南宋 官窯 青磁貫耳壺。
1213世紀。修内司官窯。高8.4cm
官窯の厚釉の本格的な登場は,南宋修内司官窯からだと考えられる。修内司官窯の胎の色は,汝官窯の香灰胎より濃いため,汝官窯の淡い天青釉にならない。そのため,工夫して薄胎にし,胎の色を隠すために釉を厚く二度,三度と施釉し,その結果「薄胎厚釉」という,独自の作風が完成されたと推測される。したがって,従来からあった玉を崇高の美とする中国の美意識が,玉のような柔和な質感の粉青釉と陶胎の質の一致に,卓越した美をみたのである。 

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