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台北 国立故宮博物院 その9 宋・金・元 燿州窯 龍泉窯 鈞窯 吉州窯

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北宋 燿州窯 青磁印花菊花紋碗。1012世紀。国立故宮博物院。
中国歴代陶磁。宋・金・元。
20171014日(土)。
青磁は天然の釉薬の鉄の成分が、高温還元により青緑系統の色を呈する磁器である。青磁は前代に引き続き華北に耀州窯、華南に越州窯で主にが生産された。

耀州窯は、北方青磁を代表する窯で、窯址は陝西省銅川市黄堡鎮にある。耀州窯の起源は唐時代にあり、五代、北宋を経て、金代まで存続した。
北宋時代の耀州窯青磁はやや酸化炎焼成気味に焼き上がった,オリーブグリーンのくすんだ緑色の釉色に特色がある。
器のほぼ全面にわたって刻文を施すものが多く、片切彫りという、文様の縁に沿って斜めに刃を入れて彫る深い刻花によって花卉文や牡丹文,唐草文などを描いている。この技法により、文様の縁の部分に釉溜りができて、釉色の濃淡が現れる。
 
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南宋 龍泉窯 青磁鳳耳瓶。
13世紀。高25.5㎝、径9.4㎝。
滑らかな肌とクールな青、洗練された器形。頸は細長く、腹部は真っ直ぐな筒型で、口縁は皿のように外側へ広がっている。頸部の両側には鳳凰をかたどった耳が付いており、造りは端正で上品である。
 
長い頸と皿のような口を持った瓶は、北宋の汝窯と南宋の官窯によく見られる形で、宮廷でこよなく愛された様式であった。龍泉窯は頸部の両側に魚や鳳凰をかたどった耳を装飾するものが多く、この鳳耳青磁瓶の耳の表面には型押し文様が細かく施され、鳳凰の頭部や羽毛まではっきりと見える。釉色はうっすらと霞がかかったような優しい青緑色を呈し、明るく艶があり、滑らかである。日本に所蔵され、天皇により「千声」と「万声」と命名された青磁鳳耳瓶と同様、いずれも龍泉窯の最上級の作品である。
 
華南の越州窯青磁の窯は浙江省北部にあったが、北宋中期頃から生産の中心は浙江省南部龍泉県および近隣地域に移り、これを龍泉窯という。
龍泉窯は南宋と元代に質量ともに最盛期を迎えた。南宋の釉色は青みの強いパステルブルーを基調色とし、表面が無紋できめ細かく、造形の洗練されたものが上等品とされた。
一方、元代の龍泉窯は力強く雄渾な気勢を備え、深緑色を呈し、彫刻も豪放な印象を与える。
龍泉窯青磁は、胎土が磁器質で、貫入がほとんどなく、澄んだ青色を呈するのが特色である。
 
龍泉窯の青磁は国外に大量に輸出され、特に日本では砧青磁と称され、茶席の花生として珍重された。日本で「下蕪形花生」、「鳳凰耳花生」、「筍形花生」などと名づけられている青磁の瓶は、作風から南宋時代の龍泉窯の産とされている。
 
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南宋 龍泉窯 青磁盤口長頸弦紋瓶。
13世紀。高32.6㎝。径12.4㎝。
下蕪形の瓶で、皿型の口(盤口)をもつ。首と肩の突帯は、古銅器の弦文を写したもの。
 
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南宋 龍泉窯 青磁茶盞。
13世紀。
日本の茶道では平茶碗といわれる浅く平たい器形の茶碗。平茶碗でお茶を点てると、平たい面に抹茶の粒がキラキラと泡立っているのが見え、また、抹茶が冷めやすく夏の茶の湯に最も適した茶碗とされる。
 
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南宋 龍泉窯 青磁蓮弁碗。
13世紀。
 
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金 鈞窯 天青釉膽瓶。
12世紀。高27.3㎝、口径3.4㎝、足径6.7㎝。
膽瓶(胆瓶たんへい)は、器形の下部が平べったく潰れた瓶をいい、日本では下蕪花生といわれる形の瓶である。膽は瓶の意味があり、肝臓のすぐ横にあり、胆汁を溜めておく瓶のような形をした器官と考えられていた。
鈞窯は、天青釉とよばれる澱青釉という独特の青みを帯びた失透性の釉を特色とする。澱青釉は青磁と同様、釉中の灰に含まれる微量の鉄分が還元焼成されて発色するものである。
 
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鈞窯は宋・元代の名窯で、代表的な窯址は河南省禹県八卦洞に発見されており、この地が明代初めに鈞州とよばれ始めたため、鈞窯の名が生まれた。
八卦洞窯の出土品は、俗に鈞窯とよばれる澱青釉や紫紅釉のほか青磁や鉄絵陶にも及び、作域は広い。
 
澱青釉と紫紅釉陶器が特色をなすところから、本来窯の名称である鈞窯は、独特の澱青釉や紫紅釉の代名詞として今日大いに用いられ、釉そのものをさす場合が多い。
澱青釉はケイ酸含有率の高い青磁の一種で、幽邃な失透青白色釉となっており、これに銅分を加えたものが紫紅釉である。
 
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金~元 鈞窯 天青窯変釉紫斑円盤。
1213世紀。高2.9㎝、口径18.8㎝、足径12.2㎝。
鈞窯はその美しい「窯変釉」で名を馳せていた。その特殊な釉薬は、酸化銅を還元焔で焼成すると紫紅色の斑文が現れ、窯変といわれる。
 
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元 鈞窯 天藍釉紫斑盂。
1314世紀。高16.4㎝、口径16.9㎝、足径8.1㎝。
器の壁は天藍色の釉で、外壁は天藍釉の中に彩霞のような紫色斑紋が現れている。
盂(う)は飲食物を盛る口の広い鉢のことで、古代の礼器に淵源をもつ。
 
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宋 黒釉鷓鴣班碗。
1213世紀。茶盞。高5. 8㎝,口径20. 3㎝。
産地は不詳、北方系の窯と推測されている。
宋代の闘茶に使用された茶碗である。宋代の人々は茶を飲む時に、まず茶の塊を細かく挽いて茶碗の中に入れ、熱湯を注ぎ、掻き混ぜてから飲んでいた。この時、茶の表面に浮いた白い泡と茶碗の黒釉が互いを引き立たてるため、宋代では茶の点て方を競う「闘茶」が発展し、茶の粉末にお湯を注いだ後の色合いと泡も、評価のポイントとなった。白い茶湯が茶碗の黒釉によって大きく引き立てられるため、宋代にはこのような茶器が大変流行したのである。
 
鷓鴣(しゃこ)とはヤマウズラのこと。器の点狀紋が鷓鴣の斑紋に似ていることからこの名がある。北宋の蘇軾や黃庭堅はこれらの茶碗を“建安瓷碗鷓鴣斑”、“鷓鴣斑中吸春露”、“金縷鷓鴣斑”と詩の中で讃誉した。宋代の人々は万物を観察し、生活で用いる器物の多くも大自然からのインスピレーションを得ていた。鷓鴣斑は釉色と紋様に対する称揚なのである。
 
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南宋 吉州窯 黒釉葉紋碗。
1213世紀。
この葉文碗は、広い口に対して底の面積は小さく、茶碗の内側は逆さにした笠のように深く傾斜しており、内側と外側はいずれも黒の釉薬が塗られ、碗の内面に実物の木の葉を焼き付けて文様とした。
茶碗の内部の底に黄色い葉が黒釉から浮かび出し、葉脈がぼんやりと見え、葉の縁は所々枯れており、自然の趣に溢れている。この種の黒釉葉文碗は、江西省吉州窯の独創的な装飾技法である。恐らく昔の人々は、お茶にゆっくりと浮かび上がる木の葉を想像しながら、情緒ある一時を楽しんでいたのだろう。
 
南宋時代には福建省の建窯、江西省の吉州窯で黒釉の喫茶用の碗、いわゆる天目が製作された。これらの碗は特に日本で珍重され、日本の茶道文化に多大な影響を及ぼした。
本品は日本では「木葉天目」とよばれている。
 
1979年に、名古屋の徳川美術館で天目茶碗の特別展があり、曜変天目など多数の天目茶碗を鑑賞した。
 
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金 北方窯 黒釉油滴磁盤。
1213世紀。
全体に掛けられた漆黒の釉、その内・外面の黒い地に銀色に輝く斑紋が浮かび上がる。「油滴」の名はその美しさが油の滴のようであるところからという。釉内の鉱物が再結晶することで斑紋として現れたものが油滴であった。

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