明 成化 五彩蓮塘鴛鴦紋盤。1465~1487。国立故宮博物院。
2017年10月14日(土)。
成化(1465 ~ 1487年)、弘治(1488~1505年)、正徳(1506~1521年)の3代の磁器の特色は小品が多いことである。器種の点では、永楽期に見られたような西アジア起源の器形はほとんど見られなくなり、伝統的な器形が多い。この時代には官窯でも上絵付けの多色磁器が盛んに作られるようになった。
五彩とは、多色(必ずしも5色とは限らない)の絵具を用いて白磁の釉上に図柄を描いた磁器である。素地に透明釉を掛けて高火度焼成した後、釉上に上絵具で図柄を描き、錦窯という小型の窯で再び低火度焼成する。
明 成化 鬥彩雞缸杯(豆彩鶏缸杯とうさいけいこうはい)。1465~1487。
高3.8㎝、口径8.3㎝、足径3.7㎝。
世界的に声価の高いのが成化期の豆彩(とうさい)とよばれる色絵磁器である。鶏の親子が描かれている鶏缸杯は、酒杯の傑作といわれる。欧米では「チキン・カップ」と称され、成化豆彩の代名詞となっている。明の万暦帝は、御前には必ず一対の鶏缸杯を置いて楽しんだという。
意匠はほとんど同じで、餌をついばむ母鶏と餌のまわりに集まってきた小鳥が描かれている。杯の內側は純白無紋で、底に青花で「大明成化年製」の六字が楷書で款されている。
明成化鬥彩雞鬥彩雞缸杯の意匠。
画中には牡丹、蘭草、湖石が描かれている。
豆彩は、原理的には五彩と同じで、釉下彩の青花と上絵付けの色絵を併用したものである。青花の線描で文様の輪郭線を描き、透明釉を掛けていったん焼成した後、赤、黄、緑、紫の上絵具で彩色して再度焼き付けたもので、この技法は「闘彩」とも書き、「闘」は各色が競い合うという意味であるという。日本では、特徴的な緑の絵具の色が豆の色に似ることから豆彩と称する。
伝世の豆彩の器は杯、小壺、馬上杯などの小品に限られ、文様は人物、植物、動物などが多い。
豆彩は、透明感のある色彩、上品な図柄とともに、作品数の少ない点でも愛陶家垂涎のものとなっている
明 成化 鬥彩龍紋蓋罐。1465~1487。
蓋付きの大壷。
明 成化 青花梵文花鳥紋平足茶鍾。1465~1487。
鍾とは漢代に盛行した酒器で円壺形の金属製のものをいう。
明代中期の成化(1465-1487)、弘治(1488-1505)期間の青花は、江西楽平の「平等青(陂塘青)」という顔料を使用している。釉色は淡雅な青灰色。しっとりとした幽雅さが人々を魅了した。
皇室はチベット仏教を崇敬するとともに、チベットの各教派の高僧による往来を重視していた。高僧らに贈呈する物品には価値が高く、貴重な磁器が含まれていた。
また、祭祀用に梵字文の磁器が用いられたといわれる。
明の太祖洪武24年(1391)に、「団茶の製造を止め、芽茶(葉茶)を採ることを善しとする」としたため、唐・宋時代の抹茶を飲む習慣に変化が起きた。
明代の人の喫茶方法は、茶葉を直接茶壺に入れ、お湯を注ぎ蒸らした後、茶鍾(ちゃしょう)に注ぎ飲用するもので、今日の蒸らして飲む方法の基となった。
また、主な茶器は茶壺と茶鍾で、茶杯は「玉のように白く、茶の色がわかる」白磁が最も良いとされ、青花磁茶器も流行した。茶器は既に存在していた陶磁器以外に、明末の宜興紫砂、及び朱泥茶壷の使用もまた大いに好まれた。
明 成化 青花葵花紋碗。1465~1487。高7㎝、口径14.4㎝、足径5㎝。
明 弘治 緑釉黄裏碟。1488~1505。
碟(せつ)は底が平たく浅い容器で皿のこと。
明 弘治 嬌黄緑彩雙龍戯珠紋高足碗。1488~1505。高12.3㎝、口径24.0㎝。
形態はサカズキ型で、円柱形の脚に盌が乗っている。陶胎は、薄く成形されている。紋様は、太陽を追う二匹の龍を刻線で描き、その上に緑釉を施して余白を黄釉で塗りつびしている。龍の爪は5本で、黄色とともに皇帝の象徴であったので、宮廷で使用されていたと考えられる。
嬌黄緑彩は黄釉と緑釉を併用したもの。
明 嘉靖 紫金釉碗。1522~1566。
紫金釉は金と錫を混合して作られる。
嘉靖年間(1522 - 1566年)には、生産量の増大に伴い、「官搭民焼」すなわち官窯から民窯への委託焼成が行われ、民窯製造の磁器にも「大明嘉靖年製」の年款銘が入れられるようになった。
明 嘉靖 紅地黄彩雲龍紋蓋罐。1522~1566。高17.5㎝、口径7.3㎝、腹径13.5cm、底径9.4㎝。
嘉靖期には五彩や青花の他に、文様と地を別色で表した「雑彩」が盛んに作られた。「雑彩」には紅地黄彩、紅地緑彩、黄地緑彩、黄地緑彩、黄地紅彩などさまざまな組み合わせがある。中でも黄地紅彩は手の込んだもので、透明釉の上に黄釉を掛けて焼いた後、さらに紅釉を施してもう1回焼き上げるものである。
明 嘉靖 五彩天馬紋蓋罐。1522~1566。
嘉靖期の五彩は、青花による輪郭線は用いられず、釉下の青花は他の上絵具と同様に、青色を表す絵具として使われている。この時期の五彩に使われているオレンジ色は嘉靖五彩の特色の一つで、黄色の上に淡い赤を重ね焼きするという手間のかかる方法で発色させたものである。
明 万暦 青花梵文蓮花式盤。1573~1620。高5.9㎝、口径19.2㎝。
特殊な蓮の花型の盤で、一枚一枚の花びらに梵字が書かれており、装飾と福を祈る機能を兼ね備えていることから、祭祀用の器であることが分かる。
万暦帝は信仰心が篤く、大量の祭器を製作させた。
万暦年間(1573 - 1620年)には嘉靖期に引き続き、民窯への委託によって大量の製品を焼成していた。
万暦期の五彩には、緑などの寒色を主調にした落ち着いた作風のものと、繁雑な文様で器全面を埋め尽くした粗放で装飾過剰な作風のものとがあり、前者は万暦前期、後者は万暦後期の作品と考えられている。後者は、日本で「万暦赤絵」と称されて殊に珍重された。