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台北 国立故宮博物院 その16 中国の玉器(夏・殷・周・春秋戦国・秦・漢)

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夏代 牙璋。
BC2070BC1600年。長さ38.1cm 幅9cm 厚さ0.8cm
国立故宮博物院。院蔵玉器精華展。
20171014日(土)。
牙璋は刀の一種。上端に刃があり、下端は長方形、底部の両側に牙状の突出部がある。黄河中下流域の文明にみられる。
夏は華西・華中の部族集団が建国した王朝であり、この時代に使用された玉の礼器には大型の牙璋、玉刀、玉戈などがある。
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牙璋に木の柄を取り付けた復原図。
 
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夏晩期。神祖面紋玉器。
BC1800BC1600年。
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神祖面の復元図。
 
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夏晩期~商(殷)早期。玉戚。
BC1800BC1300年。
商 玉戚。BC1600BC1046年。
戚(せき)は鉞(まさかり)よりやや小さい斧。
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玉戚の復元図。
 
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西周 帯璜組玉佩。
163片。 BC1046BC771年。
佩(はい)は貴人が腰帯などに下げる飾りのこと。玉を飾った貴人は、歩くときに玉がぶつかって音がすると乱暴な人物と思われたため、音がしないようにゆっくり歩くことが作法だったという。装身に用いる玉は、小さく加工された様々な玉を組み合わせ、身分の高低を示した。
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玉璜。
 
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西周中晩期 玉牌連珠串飾。
227片。BC976BC771年。
 
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西周晩期 玉項飾。
BC877771年。
紅い色はメノウ。 
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首飾りの中の的盾形玉飾り。
 
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圭壁制度の確立。
西周の高級貴族の墓葬では被葬者の胸または棺の上に一組の圭と壁が置かれた。東周の時代になると、圭と璋の組合せも使用されるよになった。
 
太古の先人たちは、美玉は特殊な「霊魂」を有しているという迷信を信じていた。
人々は上帝(周代の初期は「天」と称した)が神霊動物を派遣して生命力を氏族の始祖に賜ったのだと信じていた。「徳性」とは自らの氏族に特有な神霊能力、すなわち生まれ持ったものを意味し、善悪と道徳とは無関係であった。
人々は「徳性」を示すために、各種の動物をモチーフとした玉飾りはを身に付けた。美玉の「精気」と動物の「法力」により、人と神の媒介になるほか、さらに自身が踏襲した神霊の賦与、即ち「徳性」を顕彰することができた。しかし、東周の時代の頃になると、人々はすでに玉飾りを帯びる本来の意義を忘れてしまった。
 
社会の進歩に伴い人文主義が台頭し、儒学の説が興ると、玉も段々と道徳化されていき、儒家によって、美しい玉には仁、義、智、勇、など「君子の徳」が備わっていると解釈された。
「君子」の本来の意味は、「統治者」を指したが、東周の時代の儒家的理論体系の中で、「品徳高尚なる知識分子」に転化した。
悠久な歳月の中にあって、周人が施行した「圭璧組配」は、その後の中国の玉礼制の核心となった。漢の皇室は沛県から来ており、江南古越俗の「玉殮葬」は更に発展し極致に達した。ルーツを外国とする辟邪、角杯が中国に伝えられた後、美玉を用いて彫刻し、磨きをかけ、更に中華の神秘的な要素を添えた。
 
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戦国時代 圭璋。一組 
BC475BC221
璋は戈をかたどった玉器、のちに圭を縦に半分に割った玉製の笏の形となる。
 
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戦国時代~前漢。玉人。
BC475AD8
 
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漢代 圭壁。一組。 
BC206AD220
 
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前漢 玉辟邪。
BC206AD8
漢代に登場した雄雄しい霊獣「辟邪」を玉で作ったもの。「辟邪」とは想像から出た神話的な動物で、人々は辟邪の法力によって邪悪の災いを取り除くことを願った。漢代に流行した辟邪は、ほとんどが両翼を持つ四足で、このような造型は、西アジアから伝わったものである。しばしば巨石を用いて彫刻され、陵墓前に置かれた。
 
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漢代 玉角形杯。
BC206AD220
角のような器形は中央アジアから伝わったもので、漢と中央アジアの交流を物語る。
 
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漢代 唅蝉。
BC206AD220。下半部。
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全体。
唅蝉(かんぜん)は、蝉の形をした玉彫で、玉蝉ともいい、古代中国で死者の口に入れられた葬玉である。
秦・漢の人々は霊魂の不朽を願った。そのため、喪葬用の玉の種類が多くなった。なかでも、死者の口中に含ませる唅蝉(玉蝉)と、手に握らせる玉豚が多く用いられた。
人々は、死者が蝉のように抜け殻から蘇ることを願い、家族の繁栄が守られることを玉豚に期待した。
最高級の喪葬玉器は死者の体を覆う玉衣(玉匣)で、頭頂部に玉壁を一つ配し、衣を玉片で綴り、死者が美玉に含まれた精気を吸収することを願った。
宇宙の中で永遠に動くことのない北極(太極、太一)を象徴すると考えられた玉壁の中央の孔を通って、死者の霊魂が天に昇り、永遠不滅の世界に入っていくことを希求した。
 
また、古代中国では、玉は肉体の腐敗を防ぐと考えられており、死者の九竅(きょう)という9つの穴である目・耳・鼻・口・後陰・前陰に葬玉を入れた。
 
なお、泰山でおこなわれた封蝉の儀式では、泰山の頂上で天を祭る儀式を封といい、泰山の麓で大地の神を祭る儀式を蝉という。
 
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前漢晩期~後漢。金片包玉猪。一対。
BC73AD220年。
漢代 覆面玉石飾。BC206AD220年。
玉猪は「玉豚」とも「握」ともよばれる。豚の姿をしており、死者が来世で現世と同じように食料に不自由しないように、両手に握らせた副葬品である。金箔で巻かれており、有力者のものであったと分かる。
中国では、豚は財産の象徴とされ、豚(猪)年生まれは金運に恵まれるといわれる。

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