琉璃珠 戦国時代 BC475~BC221年。
国立故宮博物院。
2017年10月14日(土)。
「玻璃(はり)」(ガラス)は、中華圏の歴史的文献に頗黎や陸離、流離、琉璃、薬玉、瓘玉、玻瓈、料器などの名称でも記録されています。
考古資料によれば、紀元前3000年頃に古代エジプトと西アジアで原始的なガラス質の物質が出現したとされ、「faience」(ファイアンス)または「釉砂」と言われるその物質のほか、焼成温度が比較的高い「玻砂」(frit)で作られた物もあります。
西周時代の遺跡からも、二酸化ケイ素を主な成分として焼成により作られた、玻璃に近い質感の物品が発見されています。先秦時代の遺跡からはトンボ玉や不透明な焼結状管形器、塊状の象嵌器などが発掘されており、これらは全て原始的な玻璃の一種に分類されます。
漢代から唐代、宋代を経て、玻璃は主に佩飾や容器、象嵌器などに用いられるようになりました。唐代から宋代、元代にかけては、数量は少ないながら陶磁器の器形や色合いを模した器が登場しました。これらの品々はイスラム圏の玻璃器と深い関わりがあり、国外の玻璃器の影響が見て取れます。半透明の簪や釵(髪にさす部分が二股になった簪状の髪飾り)、墜飾(ペンダント)などは、人工的な焼成への試みを示しています。また、研磨や加工技術の向上によって玉のように光り輝く玻璃も誕生するなど、天然の宝石の色合いに近づけようとした意図が感じられます。
日本でも古墳時代の副葬品として勾玉とともに出土している。また、台湾原住民族パイワン族の琉璃珠(トンボ玉)も、のちほど順益台湾原住民博物館で見学した。
琉璃珠 戦国時代 BC475~BC221年。
琉璃珠 戦国時代 BC475~BC221年。
琉璃珠 戦国時代 BC475~BC221年。
陶珠 戦国時代 BC475~BC221年。
鼻煙壺。清。
康熙時代になると宮廷工房で、口が小さく幅広の瓶型で小匙付きの鼻煙壺の制作が始まり、携帯に便利で香りが漏れない鼻煙壺が、新しい嗅ぎたばこ入れとして宮廷で用いられるようになりました。康熙から雍正、乾隆時代にかけて、西洋の画琺瑯やガラス製造技術、様々な装飾を巧みに融合させた、独創的な鼻煙壺が制作されました。
乾隆時代以降は小さく精緻な鼻煙壺が主に制作されました。壺部分のごく限られたスペースに様々な工芸技術の粋が結集され、材質・デザイン・技法-いずれにも知恵と工夫の限りが尽くされています。嗅ぎたばこと鼻煙壺は清代の人々にとって、社交の場に欠かせないアイテムの一つになっていきました。家の装飾品や贈り物、装身具として身に付けたほか、「煙漏」(漏斗)や「煙碟」(嗅ぎたばこ用小皿)などの付属品までもが、身分や社会的地位、趣味のよさを表す象徴的なアイテムになりました。中西折衷の中国製鼻煙盒や、中国皇室の好みに合わせて作られた鼻煙壺もあり、その作りや素材などに当時の嗅ぎたばこブームが反映されています。
銅胎嵌料鑲錶轎瓶 清 高22.35㎝、最大径9.8㎝。
轎瓶は、皇帝が行幸や巡行にあたって使った肩輿や轎車の覆いの内側に懸けるためにも造られた瓶で、壁瓶ともいい、壁に吊るして室内に飾られた。錶は時計のこと。
故宮熊讃。「2017年夏季ユニバーシアード」の開催に合わせ、熊を象った文物をテーマにした展覧会。2017年8月1日から10月31日まで開催。
清 玉 人と熊。
黒と白─玉石の自然の色を生かした彫刻作品。白い玉人(少年)の丸々と太った身体は長い線で彫刻されており、黒玉の熊の身体を覆う毛は短線で陰刻されている。人と熊が力比べをする瞬間が工夫を凝らして表現されている。しかし、その瞬間は手に汗握るような勝負ではない。玉人も熊も笑いながら、手に手を取って軽やかに踊っているように見える。この玉彫刻は他の小さな古玩とは異なり、「百什件」に収納されていたことから、「百什件」にはこのように精巧な作りのユニークな作品が多く収納されていたことがわかる。
清 玉熊尊。漢 銅熊尊。
尊は、殷・周時代の酒器で、口がらっぱ状に開き,胴部がふくらむ筒形をしている。
乾隆帝の「玉熊尊」は乾隆25(1760)年に制作された。『西清古鑑』に収録されている「唐飛熊表座」を模して作られた作品である。
原作は乾隆帝旧蔵の漢代の銅製熊で、毛並みが金糸と銀糸で表現され、頭部や額、両目など、各所に宝石がはめ込まれている。ごくシンプルな線で表現されているが、華麗な装飾が施されており、漢代に制作された器物の一部、おそらく脚の部分だと思われる。
この新たに制作された玉熊は模倣の域を出ていないが、造形は重厚で、温かな質感がある。この作品を見ると、乾隆時代の倣古玉器に求められた要素や品質が理解できる。
青磁 熊形灯。呉~西晋(3世紀)。
灯盞(油皿)と灯柱、3本の脚からなる青磁の熊形灯。腰を下ろして灯盞を支える小熊の姿が目を引く。小熊が両腕で力いっぱい灯盞を持ち上げている様子が愛らしい。よく見ると、小熊の胸元と腹部に陰刻の線や指で押した装飾が見て取れる。また、背の方を見ると、尾骨が横向きの直線で示されている。
「甘露元年」(265)という銘のある、南京墓葬からの出土品を例証の一つとすれば、この熊形灯の流行と制作年代は3世紀頃だと推測できる。