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台北 故宮博物院 20 青銅器 周

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 雙龍紋簋。西周早期。盛食器。BC11BC10世紀。高21.3㎝。
国立故宮博物院。20171014日(土)。
簋(き)は盛食器で、調理した穀物を盛るための断面円形の椀状の容器で、身が深く、圏足がつく。
蓋に2頭の龍が舞う文様が刻まれている。
 
西周早期(武、成、康、昭四王)の銅器の造型と文様はその多くが殷晩期のなごりをとどめているが、次第に変化を遂げ、周文化の特色の形や文様(例えば方座簋)が増えていった。礼制も徐々に成熟し、金文も完璧になった。
 
西周の中期(穆、共、懿、孝、夷の五王)になると、銅器の風格も一転し、新たな器類、造型、文飾が次々に現れた。爵、斝、觚等の酒器にかわって簋、簠、盨、鋪等の食器が増え、あたかも「食を重んじる」周の治国新使命を象徴している。新しいタイプの尾を大きく巻いた鳳鳥文と瓦文などの華やかな文様も登場し、銘文も長くなり、その格式と書風も早期の物とは大いに異なる。
 
西周晚期(、共和、宣、幽)には、銅器上に新たな文様が次々と現れ、獣面文は消失し、新しくうねる波、二重の環、垂鱗の文様などが形成された。各諸侯国の器物の製作は増え、徐々に東周地域の特色の先駆となった。殊に銘文記載が豊富であったことは、当時、すでに文字が良く使われていたことを示し、易、書、詩、礼、楽、春秋の六経が成立した。
 
西周~春秋の銅器銘文。
殷、周初期の銅器の銘文は、その多くが「一族の名」と「祀る祖先神の名」だけであったが、西周中期になると「子孫永宝」が主題となり、銘文で締めくくる形式が固定した。銘辞の内容も豊富で、例えば「戦争紀実」、「聯姻媵送」、「冊命典儀」、「割地契約」、「訓誥賞賜」など、真にせまった原始資料のように当時の事跡、語彙が記録されている。
 
金文は書範、刻銘、再鋳などの工程を経ているが、当時の優れた書芸を如実に反映している。殷、周初期の雄壮さから、西周中期の整然さ、西周末期~春秋初期の滑らかで緻密な特色に至るまで、既に「大篆」への変化と形成が見られる。西周中晩期には長い銘文の銅器が大幅に増え、「文存周金」の「郁郁乎文哉」(郁郁として文なるかな)の実情を証明している。

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祖乙尊。西周早期。酒器。BC11BC10世紀。
34.5㎝、口径25.6㎝、重5.7㎏。
尊は、酒などを貯蔵する盛酒器として神前に供えられた青銅器である。
縁の下に蕉葉夔龍紋を巡らせ、腹部と首の付け根には典型的な下向き夔龍紋が鋳られている。
 
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「作祖乙寶尊彝」の銘文が本器の底に鋳られており、氏族の祖先である乙を祭るために鋳造されたことを表す。「彝(い)」も酒を貯蔵する器のことである。

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召卣。西周早期。
BC11BC10世紀。酒器。高24.6㎝。
卣(ゆう)は盛酒器で、殷前期から西周中期まで製作された。提梁と呼ばれる吊り手を有するのが特色で、蓋を伴う。器形は「壺」に似たもの、筒型のものなどさまざまである。提梁がつくことから、酒などの液体を持ち運ぶための容器と考えられる。蓋は身にすっぽりと嵌まるタイプで、密閉性が強いことから、保存用の容器ともみられる。
 
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召卣。銘文。「一一六八一六召」。「失敗しないためには自制せよ。」易
経の八卦の文による。禁酒のすすめとされる。
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御正衛簋。西周早期。
BC11BC10世紀。盛食器。高12.2㎝、口径18.4㎝。 
 
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銘文。
2代成王(BC1043BC1020年)の時代とされる。
 
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夷日匜。西周中期。
BC109世紀。高19.6㎝、長27.2㎝。水器。
匜(い)は水器で、手を清めるための水を注ぐための器。注酒器の兕觥(しこう)が原型で、西周時代後期以降、水器に用途が変わり、高台の代わりに四足がつくようになった。盤とセットで戦国時代まで作られた。
 
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叔父丁鬲。西周中期。
BC10BC9世紀。複製品。食器。高10.0cm
鬲(れき)は煮食器で、土器としては新石器時代からある。青銅器としては殷前期から登場するが、殷代には少なく、西周中期から盛行し、春秋時代以降まで長く製作される。器形は鼎と似るが足は中空の袋状になっている。
紋様は、腹部から脚まで弦紋が鋳られているだけの質素な紋様である。縁に「叔父丁」の銘が鋳られている。
 
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大鼎。西周晩期。
BC9世紀~BC771.食器。
 
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内部の銘文。
 
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内部の銘文。拡大。
 
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拓本。
 
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釈文。
 
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頌壺。西周晩期。
BC9世紀~BC771。酒器。
63㎝、腹深44.4㎝、口径21.2×16.9㎝、底径24.3×31.7㎝。
壺(こ)は盛酒・盛水器で、殷後期から造られ、西周後半から作例が増加し、盛酒器は壺だけが重んじられるようになり、戦国時代まで引き続き作られた。胴部が張り、口部が狭く、頸部が長く、双耳(持ち手)と蓋を伴うものが多い。
本品は堂々とした方壺である。蓋と高台部分には獣面紋から派生した垂鱗紋が配され、胴部には胴が二つある龍身がダイナミックに巻き付いている。把手部分の獣首には持ち運びのための円環が付けられている。
首の内壁と蓋部分に各152字の銘文が見え、頌という人物が優れた功績により周王から高官の位を授かり、その王命を拝するさいの儀式の様子が記されている。
 
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頌鼎。西周晩期。
BC9世紀~BC771。食器。
 
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散氏盤。 西周晩期。
10代王年間(BC857BC842年)。水器。
20.6㎝、腹深9.8㎝、口径54.6㎝、盤底直徑41.4㎝、重21.312㎏。
散氏盤は、手洗いの器の形をしているが、実際に使用されたわけではない。
 
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器の中には全部で
350字の銘文が刻まれている。西周時代後期に夨(しゃ)国が隣国の散国を侵略する事件が起こり、周王の調停で講和談判が開かれた。その結果夨国が散国に賠償として領土の一部を割譲することになり、周王のもとで平和条約を締結した経緯を示す。
銘文の前半には土地の調査実況、後半にはその調査に参与した人名と夨(しゃ)の人の誓いの言葉が力強い線で書かれている。
 
散氏盤は毛公鼎、宗周鐘とならび故宮3大有名青銅器の一つで、台湾の学校の教科書でも必ず紹介されており、台湾人なら必ず知っている。青銅器に彫られた銘文は、字数が多ければ多いほど価値があるといわれ、散氏盤の文字数は毛公鼎についで2番目に多い。
 
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拓本。 
用夨[戈菐]散邑,廼即散用田。履自瀗涉,以南至于大沽,一封;以陟,二封;至于邊,柳。復涉瀗,陟雩[虘又]□□[阜美],以西,封于播城,楮木;封于芻逨,封于芻道;内陟芻,登于厂湶,封[者刀][木厈][阜美]陵崗,[木厈]。封于原道,封于周道;以東封于□東疆;右還,封于履道;以南,封于逨道;以西,至于[工隹]莫。履井邑田:自桹木道左至于井邑封道,以東一封;還,以西一封;陟崗,三封;降,以南,封于同道;陟州崗,登,[木厈];降,棫;二封。
 
 夨人有司履田:鮮且、微、武父、西宮襄、豆人虞考、彔、貞、師氏右眚、小門人繇、原人虞艿、淮司工虎、□龠、豐父、[工隹]人有司刑、考,凡十又五夫。正履夨舍散田:司徒逆、司馬單、邦人司工[馬京]君、宰父;散人小子履田:戎、微父、效□父、襄之有司橐、州□、修從□,凡散有司十夫。
 
 隹王九月,辰才乙卯,夨俾鮮且、□旅誓曰:“我既付散氏田器,有爽,實余有散氏心賊,則爰千罰千,傳棄之。”鮮且、□旅則誓。廼俾西宮襄、武父誓曰:“我既付散氏濕田□田,余有爽變,爰千罰千。”西宮襄、武父則誓。氒受圖夨王于豆新宮東廷。氒左執要史正中農。

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金文字体。

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金文字体。

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金文字体。

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