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台北 故宮博物院 22 青銅器 秦、漢

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連枝鐙。漢。
BC206AD220年。
国立故宮博物院。20171014日(土)。
秦、漢の時期、青銅器の主な用途は礼器から普段使う器物へと変化し、庶民の生活の中に徐々に浸透していった。
 
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雁爐。漢。
BC206AD220年。高14.8㎝。
香炉。
 
過去の数多くの伝統礼器の類型、或いは簋、簠、敦、豆などの器は基本的に消失し、鼎や壷の様な器は実用的な形に変化した。当時流行した器は、ほとんどが新しい器物類で、博山爐、筒形樽、銗鏤や各タイプの照明器具が作られ、香炉や酒の貯蔵、スープ入れなど、個人の好みに合わせて使われた。
 
文様は或いはシンプル、或いは奇抜な新しいタイプのものが現れ、時には神仙に対するロマンティックな想像溢れる文様もあった。漢時代の金文銘刻の内容は工官の記録のほかに、多くの吉祥祝賀など、縁起の良い言葉が現れた。
 

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尚方博局紋鏡。漢。BC206AD220年。
銘文帯に「尚方作竟真大好」と記されている。鏡には「尚方しょうほう作鏡」の銘をもつ例が極めて多く、このスタイルの鏡は莽新以後の尚方(皇室専用工房)で製作されて民間にも意図的に大量に流出させていたことが知られる。
 
漢代の銅鏡は、鏡に銘文をもつものが多く,官設工場で製作されたと推定される。前漢鏡,王莽鏡,後漢鏡に分類される。鏡背文様は前漢鏡では四乳葉文鏡,重圏文精白鏡,内行花文鏡。王莽鏡では方格規矩四神鏡。後漢鏡では夔鳳鏡 (きほうきょう) ,獣首鏡,画像鏡,盤竜鏡,神獣鏡などがある。
 
博局紋は、「方格規矩鏡」または「TLV鏡」と呼ばれている銅鏡の文様のことである。
古代中国の双六ゲームで博打の語源となった「六博」に使用する盤を「博局」という。博局は長方形または正方形で、中央に四角形が描かれ、その四辺の外側にT字形が描かれている。盤の四辺にはL字形が、四隅にはV字に似た印が描かれている。
この博局のデザインは、中央の方格が大地を表し、それを取り巻く円周が天を表す「天円地方」の宇宙観から由来すると考えられる。
 
博局文鏡(方格規矩鏡)は漢を代表する鏡で、方格規矩蟠螭文鏡、方格規矩草葉文鏡、方格規矩四神鏡などのタイプがある。鏡の背面には中央の鈕を囲んで方格を置き、その外側の円周との間の内区には、規矩文、すなわちTLVの字形をした文様が各々四個ずつ配されている。
これを基本形として、蟠螭文鏡の場合には、変形の龍の帯状文様が内区を埋め、草葉文鏡の場合には、草葉文が左右相称に置かれ、四神鏡の場合には、内区に四神、即ち東西南北の四方を象徴する青龍・白虎・朱雀・玄武と神人、その他の神獣などが配されている。
 
方格規矩文は、既に戦国時代の六博の盤に出現し、前漢前期の蟠螭文鏡や中期の草葉文鏡などにも採用されたが、前漢後期に現れた四神を伴う方格規矩四神鏡が、前漢末から王莽期に最も完成した形を示した。

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龍氏神人画像紋鏡。後漢。
8220年。
  


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食官弦紋鼎。前漢。BC206AD8年。18㎝。
器身の口沿いに21字が記されている。「●(食)官銅鼎一,容一斗,重十一斤八兩,廿三年五月造,第廿一。」。「食官」は王の飲食に関する官吏で,周礼では「膳夫」と称された。

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弦紋鼎。
前漢。BC206AD8年。
 
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錯金雲紋奩。漢。BC206AD220年。高10.2 cm, 8.7cm
奩(レン)は筒形の箱。下方に三蹄足がある。器身は金銀で象嵌され、勾連雲雷紋でおおわれている。酒器の樽に当たる。
 
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嘉量。新莽。
AD924年。高25.6㎝。
新代に王莽が度量衡を改めて配布した容積の標準器。
初始元年(8年)11月、前漢は皇室の外戚である王莽が帝位を簒奪して皇帝に即位、国号を「新」と改めた。
新の政治は周の礼治を理想とした極端な復古主義を基本とし、周をはじめとして過去の王朝のさまざまな政策を模倣することでそれを達成しようとした。その中で秦の模倣も行われ、建国翌年の始建国元年(9年)、かつて始皇帝が行ったのと同じように度量衡を改定し、優秀な経学者であった劉歆に命じて標準器を設計させ、全国に配布した。これが新莽嘉量である。
 
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嘉量は大きな円筒形の枡の左右に
1つずつ小さな枡がついた構造となっている。中央の大きな枡と小さな枡の片方は上下が枡となっており、もう片方の小さな枡は上のみが枡となっていて、この枡全てが標準器となっていた。
秬黍1200粒分の容積を「1龠」(やく)とし、この「龠」を基礎単位に、「合」「升」「斗」「斛」(こく)の順で上位単位を定め、1合=2龠、1升=10合、1斗=10升、1斛=10斗とした。
嘉量ではこの標準の容積単位について、中心の枡の上部で1斛、裏返した下部で1斗、上のみの小さな枡では1升、そして上下両方ある小さな枡では上部で1合、裏返した下部で1龠が量れるようにした。つまり嘉量を引っ繰り返したり、使う部分を変えたりすることで、全ての容積が量れるようになっていた。
 
東晋代の太元4年(379年)以後、千数百年にわたって行方不明となっていたが、清の乾隆年間(1736-1795年)に朝廷の倉庫内で再発見されて再び陽の目を見ることになった。清朝滅亡後、嘉量は紫禁城内のかまどの上に放置されてほこりにまみれるままになっていたが、民国13年(1924年)に中華民国政府に接収された。
 
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嘉量には各計量器の外側に
6カ所合計216字の銘文がある。その文には中国神話や古代天文学、五行思想の要素が随所にちりばめられている。書風は純粋な篆書体ではなく、小篆の縦に細長い辞界を守りながら曲線部分を強く角張らせている。その結果、小篆と漢代に発達した印用の篆書・印篆の中間のような書体になっており、独特の雰囲気を持つ。
 
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嘉量銘。甲。
黄帝初祖。徳帀(匝)于虞。虞帝始祖。徳帀(匝)于新。歳在大梁。龍集戊辰。戊辰直定。天命有民。據土徳受。正號即眞。改正建丑。長壽隆崇。同律度量衡。稽当前人。龍在己巳。歳次實沈。初班天下。萬国永遵。子々孫々。亨傳億年。
 
黄帝は初祖、徳は虞に匝(めぐ)り、虞帝は始祖、徳は新に匝る。歳(さい)は大梁に在り、龍は戊辰に集まれば、戊辰直定し、天命にして民を有(たも)ち、土徳に拠りて受け、号を正して真に即(つ)く。建丑(けんちゅう)に改正し、長寿隆崇(りゅうしゅう)なり。律度量衡を同じくし、前人と稽当し、龍は己巳に在り、歳は実沈に次(やど)りて、初めて天下に班(わか)ち、万国永く遵(したが)い、子々孫々、亨(う)けて億年伝えよ。
 
黄帝は我が始祖にして、その徳は虞(五帝の最後の帝である舜の別名)に集まり、虞は我が先祖にして、その徳も(また転々として同じ土徳である)新にめぐって来た。戊辰の年(初始元年)、木星は大梁の方角に至り、東方七宿(東にあって青龍を構成する7つの星)の星々が戊辰の方角に集まって、天下は安定した。ここに天命によって民を安堵せしめ、(火徳の前漢より生ずる)土徳によって(前漢に代わりその天命を)受けて国号を改め帝位に就いた。そして丑の月(初始元年12月)を年始と定め、長寿隆崇である。度量衡の基準を統一し、精密に考えた上で前人の制度に合わせた。東方七宿が己巳の方角に集まり、木星が実沈の方角に至った己巳の年(始建国元年)に至って、初めて天下に公布した。みな末永く守り実行し、子や孫の代まで受け継いで、億年の先までも長く伝えよ。
 
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嘉量銘。乙・丙。
 
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嘉量銘。丁・戊。
 
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嘉量銘。己。
 
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嘉量銘。釈文。乙・丙・丁・戊・己。
 
 
1430分ごろに故宮博物院の見学を終え、近くの順益台湾原住民博物館へ向かった。

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