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Channel: いちご畑よ永遠に
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The Monkeesモンキーズ I'm A Believer The Girl I Knew Somewhere Pleasant Valley Sunday  

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モンキーズは、古き良きアメリカの時代最後のポップスバンドだった。楽曲を提供したのが、ニール・ダイアモンド、ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングという手練れのヒットメーカーたちだったからだ。
洋楽を真剣に聴きだして、最初にシングルレコードを購入したのが、ビートルズとモンキーズだった。
1968年になると、クリーム、ジミー・ヘンドリックスのアートロック、ジェファーソンエアプレインなどのサイケデリックロックなどの波にもまれて、モンキーズのテーマをパクッて歌っていたタイガースなどのGSもろとも消えてしまった。しかし、それなりに、ポップ史上に輝く名作群を残したバンドとして評価したい。
 
モンキーズは19668月にデビュー曲「恋の終列車 (Last Train to Clarksville)」をリリースした。その数か月あとぐらいに、曲を聴いていい曲だと思い、日本語吹き替え版のソノシートを購入した。

1967年初めにヒットしたアイム・ア・ビリーヴァーI'mA Believerはニール・ダイアモンドの楽曲だったのだが、ラジオで結構流れていた。この曲もモンキーズを特徴づける名曲で、通奏されるキーボードのリフはおしゃれなポップ感があり、新しい時代を感じさせた。

 

シングルを最初に購入したのが、1967年夏の『恋はちょっぴり/どこかで知った娘』A Little Bit Me,A Little Bit You Neil Diamond (US #2/UK #3) / TheGirl I Knew Somewhere (US #39)

「恋はちょっぴり」はニール・ダイアモンドの楽曲で普通の曲。
 

何度も聞き返して感心したのが、The Girl I Knew Somewhereでマイク・ネスミスMike Nesmithの楽曲。ギターとピアノのリズムの刻みに特徴がある。単純だが新鮮な曲調なでこの男はただものでないと悟った。モンキーズ解散後にファースト・ナショナル・バンドというカントリーロックバンドを結成したところまでは音楽雑誌で読んでいたが、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドNitty Gritty Dirt BandSome of Shelley'sBluesを聴いたときに、ネスミスの曲だと知って驚いた。本人よりNGDBのバージョンがいいのだが、この1曲でもネスミスは歴史に残る。

 
1967年夏から秋の『プレザント・バレー・サンディ/恋の合言葉』Pleasant Valley Sunday (US #3 /UK #11) / Words (US #11)。両面A面の扱いだったようだが、当時からPleasant Valley Sundayはやはり口ずさんで飽きることのない名曲だった。ジェリー・ゴフィン&キャロル・キングが夫婦だったころ、住んでいた町を題材に作った歌という。郊外に住むよきアメリカ人たちを歌っているように思っていたが、ネスミスは精神病院を歌ったものだと語っている。
 

1967年冬に発売されたのが、DaydreamBelieverで、当時からモンキーズでの最高作と誰もが認める曲だった。

忌野清志郎らのロックバンド、タイマーズが1989年に日本語バージョンを発売したときには、忌野清志郎も名曲と思っていたんだな、と感慨にふけってたが、やはり本物には敵わないなと思った。
 
当時、テレビで「モンキーズ・ショー」を放送していて、たまに見ていたが、面白いと思うことはなかった。

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