獣面文鼎。殷(商)。BC1600~BC1027年。早期。
台北。国立歴史博物館。
2017年10月19日(木)。
二里頭文化期に続くのが、殷代前期の二里岡文化時代であり殷代後期の殷墟(安陽)文化期に先行する。この時代の青銅器の特徴は、後代の青銅器のような彫りが深く、立体的に浮き出すような文様とは異なり、二里岡文化期の青銅器の文様は線刻主体の平面的なものである。
鼎(てい)は肉類を煮るための煮食器で、鍋形の身に三足を有し、上部には一対の持ち手を有する。蓋を有するものもある。脚は太くがっしりしたもの、獣脚を象ったものなどさまざまである。新石器時代の陶器に祖形がみられ、青銅器としては殷前期から戦国時代まで製作された。
角。酒器。殷(商)。BC1600~BC1027年。早期。
角(かく)は温酒器。殷前期にはわずかに出土例があり、殷後期から西周中期にかけて製作された。爵に似るが「流」という樋状の注口をもたない。出土例が少なく、特殊な器であったと推定される。
獣面文斝。殷(商)。BC1600~BC1027年。早期。
斝(か)は温酒器で、二里頭期・商代前期・商代後期を通じて重要視された彝器(いき)の一つで、酒を温めるための器である。斝は、王墓や重要な貴族などの墓から出土する程度で、貴重なものであった。。商代後期も半ばを過ぎると斝はあまり作られなくなり、西周期には消えてしまう。
獣面文爵。殷(商)早期。BC1600~BC1027年。中期。
爵(しゃく)は温酒器、飲酒器。中国の青銅礼器のうち、もっとも早くに出現したものである。二里頭期から作例があり、殷代に盛んに作られたが、西周時代になって作例が減り、西周後期には消滅する。
くびれのある胴に三足がつき、把手を有し、口縁部は非対称形で、「流」という樋状の注口と、その反対側にバランスを取るための「尾」という三角状の突起がつく。
「流」の付け根付近に「柱」という2本の短い棒状のものを立てるのが通例である。「柱」の用途は、ここに何か布状のものを掛けるためと思われる。
爵には大型のものはなく、高さは十数cmから二十数cm程度のものである。このことは、爵は儀式の際に人が実際に手に持つ器であったことを示唆する。
斝。殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。
觚。殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。
觚(こ)は飲酒器。殷前期からみられ、殷後期に流行するが、西周時代前期には他の器種に取って代わられる。爵とセットで出土することが多い。全体に細長く、口縁部、胴部、脚部に分かれ、口縁がラッパ状に開く。
觶。殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。
觶(し)は飲酒器。殷後期に加わった器種で西周前期まで製作された。觚より器体が太く下ぶくれになる。
獣面文鼎。殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。
鉞。殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。
鉞(えつ)は青銅製兵器。刃部と同方向に柄がつけられる。殷代に盛行した。王権の象徴ともされる。
(上)鷲文戈。重要古物。長42cm、幅9.3cm。(下)有銎戈。
殷(商)。BC1600~BC1027年。晩期。河南省安陽市小屯殷墟出土。
戈(か)は青銅製兵器。殷代から戦国時代にかけて盛行。援,内,胡の3部分から成る鳶口式の兵器。先端のとがった援に対して直角方向に柄が内の部分で緊縛される。内には1孔があって柄を目釘で留める。胡は初期にはなく,時代とともに援の基部下端が長く発達して胡の部分ができた。胡には柄を縛るための小孔があけられている。朝鮮や日本には,中国のそれと若干形を異にしたものが存する。日本では,舶載の狭鋒銅戈が,九州から近畿地方まで分布する。
長い柄の先端に,柄と直角に短剣状のものをとりつけたもので,敵の首や頭にうちこんで,手前に引き倒したり,斬りつけたりするものである。やや湾曲した両刃の短剣の部分を援(えん),その下についた長くのびた部分を胡(こ)といい,内(ない)と呼ばれる部分を柄に通して戈を安定させる。
有銎(ゆうきよう)とは着柄のための穴をもつもののこと。
殷王朝の歴史的実在を証明した有名な河南省安陽市小屯村の殷墟は、殷後期の第20代の盤庚(ばんこう)から最後の第31代紂王(ちゅうおう)の滅亡までの約300年にわたる歴代の王都で、卜辞(ぼくじ)にみられる大邑商(だいゆうしょう)にあたる。この地で発見された巨大な王墓には、数百人に上る殉葬者と青銅器や玉器をはじめとしたおびただしい副葬品があり、殷王室の強大な権力を物語っている。