緑釉樹池陶盆。漢。BC206~AD220年。
台北。国立歴史博物館。
2017年10月19日(木)。
死後の理想的生活。漢代では死後も豊かな生活を享受することを願い厚葬が流行した。周朝の礼制器に代わり、日常用品が墓室内に納められた。加彩灰陶の塑像や緑や褐色の鉛釉の陶器は漢代の人々の日常生活を生き生きと映し出している。
戦国時代から神仙思想が社会に浸透し、仙人の不死や万能の力を象徴する神々への信仰が増した。漢代の人々は死後も憂いのない生活を望み、墓室の建築構造の要素や装飾にも反映させ、超自然的な神仙の神助や保護の願いをかなえるため、福運の象徴を用いた。
褐釉陶鴨池。後漢。AD25~220年。
釉陶羊圏。漢。BC206~AD220年。河南省洛陽出土。
羊小屋。
釉陶磨坊。漢。BC206~AD220年。河南省洛陽出土。
女僕俑。磨坊は粉ひき小屋のこと。
釉陶竈。漢。BC206~AD220年。
高33 cm、長38cm。
釉陶望楼。漢。BC206~AD220年。
高97㎝、口径42㎝、底径28㎝。
加彩油燈。漢。BC206~AD220年。
高86.5㎝。幅47㎝。
燭台。
灰陶撫琴屋。漢。BC206~AD220年。
高58 長66.5 19
二人が室内で楽器を演奏している。
材官蹶張壁塼。
長41cm、幅33cm、高6cm。
塼(せん)はやきものの建築資材である煉瓦のことで、漢代には塼で地下に墓室を構築し、多数の明器を納める風が広範な階層に盛行した。
墓室の主人の強大な権力を誇示するために、神話の人物や伝説の人物の故事に武力を表現させ、邪避の守護神としての役割ももたせた。
この壁塼は四川から出土した。「材官蹶張」の画題は墓室の壁の浮彫りとして、避邪のためによく採用された。
材官蹶張とは、弩を引く射手のことで、そのモデルとされる申屠嘉は漢の草創期における怪力強弓の歩兵で、のちに漢の武官となった。この画では、材官は歯を食いしばって、顏を怒張させて、足で弩弓を引きしぼっている。
申屠嘉は梁(今の河南省)の人で、蹶張(足で弩を引く射手)として劉邦に付き従い、項羽攻撃に参加した。
BC196年、英布(黥布)が反乱を起こした。このとき隊率(部隊の指揮官)に昇進していた申屠嘉は劉邦の出陣に従い、英布を攻撃した。英布は劉邦の軍と堂々とわたりあい、劉邦本人を負傷させた。
しかし多勢に無勢、英布は敗走し義理の兄・長沙王呉臣を頼ったが、英布は呉臣に騙されて殺された。この戦での功績により申屠嘉は都尉(郡軍事指揮官)に昇進した。
BC162年には最高位の官吏である丞相に就任し、君主を補佐した。