青磁青蛙尊。晋。AD265~420年。口徑19 高22.5
台北。国立歴史博物館。
2017年10月19日(木)。
尊は盛酒器で、上方に向かって開いた広い頸部を有する。釉下に鉄の斑点を散らした鉄斑青磁は東晋時代に始まる。
漢代に発生した青磁は、この時代にも引き続き製作された。華南の浙江省を中心とした地域の墳墓からは三国時代の呉から西晋、東晋に至る時期の青磁が出土する。
これらの青磁を、古越磁と呼びならわしているが、この「古」は、後代(唐後期〜北宋)の越州窯青磁と区別した呼称である。
この時代の青磁の現存するものは、ほとんどが墳墓に副葬された明器であり、日常用の器がどのようなものであったかは明確でない。器種としては、壺、盤のような一般的なもののほか、神亭壺と呼ばれる特殊な壺、獅子、虎、羊などの動物をかたどった容器、鶏舎や豚小屋をかたどったものなど、明器特有の器種もある。
灰陶牛車。北魏。386~534年。
華北においては、6世紀初め頃までは陶磁史のうえで目立った展開は確認できず、漢の滅亡から魏、西晋を経て五胡十六国時代までは取り上げるべき遺品に乏しい。6世紀に至り、北魏では厚葬の風習に伴い、明器(副葬品)としての鉛釉陶(緑釉、褐釉)が再び登場し、加彩灰陶の人物、動物などの俑も作られた。
長沙窯青釉褐彩龍把壺。唐。618~907年。
高21.5㎝、口径8㎝、底径10.5㎝。
把手部分に龍の装飾がある。
隋・唐代には前代に引き続き青磁、白磁、黒釉磁および鉛釉陶が各地で製作された。中国で陶磁器が一般の人々にも使用されるようになったのが唐時代の8世紀末 - 9世紀頃からであった。また、同じ頃から陶磁器が海外貿易の商品となった。唐の青磁や白磁の器は東南アジアや西アジア各地の遺跡から出土している。
唐代の陶磁器としては、国際性豊かで華麗な唐三彩が広く知られているが、低火度焼成陶器である三彩は明器として地下で保存されてきたものであり、日常使用される陶器ではなかった。
唐代には「南青北白」と称されるように、華南の多くの窯で青磁が焼かれ、華北では主に白磁が製作されていた。
唐時代の重要な窯として、長沙窯がある。長沙窯は湖南省長沙市望城区銅官鎮に位置し、瓦渣坪(がさへい)窯とも呼ばれる。この窯は、国外輸出用の陶器を大量生産した窯として知られる。
この窯の典型的作品は黄釉陶で、灰白色の胎土に白化粧をし、灰釉を掛けている。釉は青磁の釉と基本的には同じものであるが、酸化炎焼成のため黄色に発色している。器形は各種あるなかで水注が多い。技法面で注目されるのは釉下彩で文様を表していることである。後代の五彩(色絵)は、透明釉を掛けて高火度焼成した器の釉上に絵付けをして再度焼成するものであるのに対し、素焼きした胎土上に絵付けし、その上から透明釉を掛ける場合を釉下彩という。長沙窯では釉下彩としてコバルト、鉄、銅の3つとも使用されており、釉下彩の早い例として注目される。長沙窯の黄釉陶は精作ではない大量生産品ではあるが、貿易陶磁として各地に運ばれ、日本、東南アジア、西アジアなど各地の遺跡から出土する。
長沙窯緑彩獣尊。唐。618~907年。
高12㎝。底径10.5㎝。
尊は盛酒器で、動物型の尊の例も多い。
白釉双龍尊。唐。618~907年。重要古物。
高55㎝。
青白色の白釉である。口縁から肩部に双龍形の柄が造形されている。器身には弦紋が裝飾され,肩部に貼花がある。この種の龍形柄は初唐に盛行した。
緑彩水注。唐。618~907年。重要古物。
高62.5cm、幅27.5cm、底径12cm。
唐代において緑釉は比較的少ない。弓形の細い握柄が特徴である。造型は優美で、ペルシャの銀器に同形のものがあり、文明間の交流をうかがわせる。
茶末釉藍白斑腰鼓。唐。618~907年。重要古物。
長52.5cm、口径17.5~17.8cm。
腰鼓の造型は双辺の口が広く、中間は痩せて啞鈴状の形をしている。器は茶色の黒釉で覆われ,その上に藍白斑が筆書きされている。この種の腰鼓は西域から伝来し、唐代には礼制楽器となった。河南省の魯山窯、禹縣窯等でこの種の腰鼓は焼成された。
三彩武俑。唐。618~907年。重要古物。
高約102cm。
三彩武俑は8世紀初めから唐中期に盛行した。肩には龍首の裝飾,腿には象鼻の裝飾があり,大きな特色とんっている。唐三彩の陶俑の中でも傑作とされる。
三彩虎面枕。遼。916~1123年。
高10㎝、長18㎝、幅11.5㎝。
器形は馬の鞍型である。緑釉と褐釉が主である。枕面には装飾はない。体部には眼を開いた獅子が装飾されている。側面は精緻な菊花紋で装飾されている。
五代から北宋の時代に北方に栄えた契丹族の国家・遼においては、遼三彩と呼ばれる三彩陶、白磁、鉛釉陶(緑釉、褐釉)などが焼成された。
白磁については、遼の作品と定窯の作品を弁別することは困難である。定窯が所在する定州の地域は、10世紀半ばには遼に占領されており、遼は定窯の陶工を自国に連行して作陶させたと考えられている。また、北宋王朝から遼への貢物にも定窯白磁が含まれていた。
釉油滴斑茶碗。宋。960~1279年。
釉茶碗。宋。960~1279年。
青花双龍暖壽罈。明。万暦。1572~1620年。重要古物。
高51cm、口径26cm、底径27.5cm。
罈(たん)は瓶のこと。
本来は蓋があったが,失われた。底部に「大明萬曆年製」の款がある。器面は雲龍紋に満ちている。肩の上には吉祥紋が施されている。腹部には瑞雲五爪龍紋が装飾され,龍紋は浮き出て立体感がある。双龍の間に草書体で「壽」の字がある。最下層に山石波濤の絵が描かれ、「壽山福海」の寓意を表す。
萬曆年間には青花が盛行したが、このほか五彩の瓶が出現した。