ロックパイルやハンバーガーヒルを連想させるような山々が弧絶して散在する。
ベトナム戦争期間中、南ベトナム政府を支援するアメリカ軍が最も北ベトナムに近い地域に設けたケサン戦闘基地は、南北ベトナム間の非武装地帯 (DMZ) から25キロ南に位置する。
1,200メートルの滑走路を備えた約2平方キロの戦闘基地は、周囲のS881高地、861高地、558高地、N881高地の4箇所に前衛陣地を備えていた。
ケサン基地は南北ベトナムを結ぶ国道9号線の北側にあり、北ベトナムからラオスに通じる北ベトナム軍の補給路であるホーチミン・ルートの破壊を目的にしていた。
北ベトナム軍が1968年1月31日からのテト攻勢に備えて本格的に同地の攻略を開始したのは1968年1月中旬からだった。北ベトナムの正規軍第304師団が基地の西方から、第325師団が基地の北方から砲撃開始と同時に塹壕により、アメリカ海兵隊2個連隊と南ベトナム政府軍レンジャー部隊が守るケサン基地に迫った。
2万の兵力で西と北を圧迫されたアメリカ軍は補給路を断たれ、空路での補給を余儀なくされた。
アメリカ軍は77日間の戦闘期間中に1,120回にも及ぶ物資の空輸を行い、兵力投入がままならない中で空軍、海軍、海兵隊の各航空部隊が協力し、ボーイングB-52戦略爆撃機 による航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍に出血を強いた。
4月に入るとようやく戦力に余裕の出てきたアメリカ軍が地上からのケサン基地解放作戦「ペガサス」を発令し、北ベトナム軍をこの地域からの撤退に追い込むことに成功した。
アメリカ軍は77日間の戦闘期間中に1,120回にも及ぶ物資の空輸を行い、兵力投入がままならない中で空軍、海軍、海兵隊の各航空部隊が協力し、ボーイングB-52戦略爆撃機 による航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍に出血を強いた。
4月に入るとようやく戦力に余裕の出てきたアメリカ軍が地上からのケサン基地解放作戦「ペガサス」を発令し、北ベトナム軍をこの地域からの撤退に追い込むことに成功した。
アメリカ軍は周囲が共産勢力の勢力下にあるケサン基地を維持するコストが高くつくことや、塹壕に対する航空爆撃の威力が比較的低いことなどから7月に入るとケサン基地を破壊して撤収することとなった。戦術的には勝利しながらも最前線のケサン基地を放棄するという決定はテト攻勢とともにアメリカ国民に大きなダメージを与え、これを境にアメリカ国民の中にベトナム撤退支持層が増えることにつながった。
見学を終了し、入口へ帰りかけると、ローカルが来て、米軍のバッジなどを売りに来た。
次に、最後の立ち寄り地である海岸部のビンモック・トンネルへ移動。
1時間ほど見学し、フエへの帰途に着いた。