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ベトナム中部 フエ ベトナム戦争の戦跡を巡るDMZツアー

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2013年1月23日(水)。本日はフエからベトナム戦争の戦跡を巡るDMZツアー。昨日の夕方、阮朝王宮見学後に宮廷料理店で食事をするまでの間に、シン・ツーリスト・フエという旅行社へ行き、店頭で34万ドン(約1400円)を支払い予約した。当日の早朝、ホテル・ミキから20分ほど歩いて店先からツアーバスに乗車。アメリカ人の多いツアーでアジア系は私一人。ガイドのベトナム人はベトナム戦争時代の年代で英語は堪能。街外れの飲食店に寄っての朝食タイムが付いている。フエから北西の山間部に向かうが、高速道路はないので時間がかかる。
ロックパイルやハンバーガーヒルを連想させるような山々が弧絶して散在する。

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ダクロン橋。ケサン基地まで13劼涼賄世砲△襦ホーチミン・ルートに架けられた橋。アメリカ軍の空爆により、当時の吊り橋は破壊された。

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ダクロン橋。アメリカ人には良く知られた関心の高い橋のようだ。ベトナム戦争当時は、ニュースでこの橋やケサン基地が毎日報道されていた時期もあったに違いない。日本人とはかなりの温度差がある。

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少数民族の家。ダクロン橋の近くにある。何故見学するのか不思議だが、少数民族はベトナムでは珍しくはないようだ。現代でも、伝統的な高床式で生活している様子を見られるのは貴重。

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少数民族の村落を歩く。

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少数民族の家。右側には川がある。

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ケサン基地跡の入口。
ベトナム戦争期間中、南ベトナム政府を支援するアメリカ軍が最も北ベトナムに近い地域に設けたケサン戦闘基地は、南北ベトナム間の非武装地帯 (DMZ) から25キロ南に位置する。
1,200メートルの滑走路を備えた約2平方キロの戦闘基地は、周囲のS881高地、861高地、558高地、N881高地の4箇所に前衛陣地を備えていた。
ケサン基地は南北ベトナムを結ぶ国道9号線の北側にあり、北ベトナムからラオスに通じる北ベトナム軍の補給路であるホーチミン・ルートの破壊を目的にしていた。

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ケサン基地跡内ガイダンスルームでは係員が説明してくれる。
北ベトナム軍が1968年1月31日からのテト攻勢に備えて本格的に同地の攻略を開始したのは1968年1月中旬からだった。北ベトナムの正規軍第304師団が基地の西方から、第325師団が基地の北方から砲撃開始と同時に塹壕により、アメリカ海兵隊2個連隊と南ベトナム政府軍レンジャー部隊が守るケサン基地に迫った。

2万の兵力で西と北を圧迫されたアメリカ軍は補給路を断たれ、空路での補給を余儀なくされた。
アメリカ軍は77日間の戦闘期間中に1,120回にも及ぶ物資の空輸を行い、兵力投入がままならない中で空軍、海軍、海兵隊の各航空部隊が協力し、ボーイングB-52戦略爆撃機 による航空作戦「ナイアガラ」を実施し約114,000トンの爆弾を投下、攻める北ベトナム軍に出血を強いた。
4月に入るとようやく戦力に余裕の出てきたアメリカ軍が地上からのケサン基地解放作戦「ペガサス」を発令し、北ベトナム軍をこの地域からの撤退に追い込むことに成功した。

アメリカ軍は周囲が共産勢力の勢力下にあるケサン基地を維持するコストが高くつくことや、塹壕に対する航空爆撃の威力が比較的低いことなどから7月に入るとケサン基地を破壊して撤収することとなった。戦術的には勝利しながらも最前線のケサン基地を放棄するという決定はテト攻勢とともにアメリカ国民に大きなダメージを与え、これを境にアメリカ国民の中にベトナム撤退支持層が増えることにつながった。

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米軍の多用途ヘリコプターUH-1H。兵員輸送用および攻撃用。離着陸には特別な滑走路を必要としない。展示してある飛行機は別の場所で鹵獲したものと思われる。米軍は撤退時に、ヘリコプターなどを地中に埋めたと言っていた。

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ケサン基地跡を、復元された戦闘壕方面へ歩く。

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ケサン基地跡。当時の戦車・飛行機が展示されている。アメリカ人の熱心さには感心する。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕への入口。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕を歩く。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕の部屋。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕の部屋の内部。

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ケサン基地跡。復元された戦闘壕を上から覗く。迷路のように繋がっている。

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ケサン基地跡。輸送機のようだ。
見学を終了し、入口へ帰りかけると、ローカルが来て、米軍のバッジなどを売りに来た。

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ベトナム軍の戦勝モニュメントへ立寄る。
次に、最後の立ち寄り地である海岸部のビンモック・トンネルへ移動。

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ビンモック・トンネル。入口。ビンモックは17度線の少し北にある海岸の村で、付近に住む漁民たちが海岸沿いに避難 用として掘ったトンネルが見学できる。

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竹林の小道を進む。

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あちこちにトンネルの入口がある。

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あちこちにトンネルの入口がある。

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高台からは海岸が間近に望める。アメリカ軍は至近距離にいたはずなのに、発見されないようにトンネルは巧妙に隠されていた。

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砲弾の展示。

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展示コーナー。

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トンネルに向かう。右端がベトナム人ガイド。

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トンネル内。入口付近。

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トンネル内。内部は土が素掘りにされている。

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トンネル内。戦闘用に造られた有名なクチトンネルと異なり、人々が生活する為に造られたもので、地下3階建てが手作業で造られたとのこと。戦闘が激しいときは、中で生活をしていた。
1時間ほど見学し、フエへの帰途に着いた。

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