日本人・谷弥次郎兵衛の墓。入口。2013年1月26日(土)。ホイアン。観光名所来遠橋の南、トゥボン川に架かるアンホイ橋の南にあるタクシー乗り場から、15時頃タクシーに乗りダナンへと向かった。途中、ホイアン北郊にある日本人谷弥次郎兵衛の墓と、ダナンのチャム彫刻博物館を時間内に見学するにはタクシーを使うしかなかった。タクシー代は51万ドン(2140円)を支払った。
運転手も墓の場所は大体知っていたが、正確には分からなかった。幹線道路に駐車して、水田地帯へ脇道に入ると、案内板とアクセス道路の入口があった。
運転手も墓の場所は大体知っていたが、正確には分からなかった。幹線道路に駐車して、水田地帯へ脇道に入ると、案内板とアクセス道路の入口があった。
谷弥次郎兵衛の墓。谷弥次郎兵衛は1647 年に没した日本人の貿易商である。
墓の形式は沖縄に多い亀甲墓のようだ。水田の一角に割と広い用地が確保されている。
墓の横に地元民が線香を持ってやってきた。頼みもしないのに、目ざとく現れるのは、インドでよく遭遇した旅行者相手のたかりだと分かった。線香に火を点けて、参れと言ったので、手を合わせた。最後に金を要求してきたので、来たかと思った。仕方ないので、5万ドン(200円)渡した。
墓の形式は沖縄に多い亀甲墓のようだ。水田の一角に割と広い用地が確保されている。
墓の横に地元民が線香を持ってやってきた。頼みもしないのに、目ざとく現れるのは、インドでよく遭遇した旅行者相手のたかりだと分かった。線香に火を点けて、参れと言ったので、手を合わせた。最後に金を要求してきたので、来たかと思った。仕方ないので、5万ドン(200円)渡した。
谷弥次郎兵衛の墓。墓の前にある銘文。谷弥次郎兵衛は江戸幕府の外国貿易禁止今に従って日本に帰国する手はずとなっていたが、ホイアンの恋人に会いたい一心で、ホイアン へと戻る事を決意し、その帰路、没したとされる。また、この墓地は日本の方向である北東10 度を向いている。
また、碑文が残っており、「昭和三年西暦一九二八年文学博士黒板勝美教授ノ提唱二基キ印度支那駐留日本人一同工事監督又順化府在住中中山氏二委託シ此墓所又修築ス」と刻まれた墓碑があり、第二次大戦以前に、黒板勝美の提唱によって現地在住の日本人篤志家により整備が行われた事が分かる。
墓の刻銘からは、「日本」、「顕考彌次郎兵衛谷公之墓」という文字が読み取れる。
タイの山田長政ら東南アジアで活躍した日本人は多い。彼らの遺伝子は伝えられているのだろうか。江戸幕府の鎖国政策は成功だったのかなどと感慨に浸りながら、後にした。
タイの山田長政ら東南アジアで活躍した日本人は多い。彼らの遺伝子は伝えられているのだろうか。江戸幕府の鎖国政策は成功だったのかなどと感慨に浸りながら、後にした。
ダナンの南郊。五行山が近づく。
チャム彫刻博物館でタクシーを下車。
チャム彫刻博物館でタクシーを下車。
ダナンのチャム彫刻博物館。ミーソン遺跡などチャンパ王国の遺跡から出土した彫刻などを展示している。また、北部の古代文化であるドンソン文化の美術品や安南焼のコレクションもある。フランス風の瀟洒な建物はコの字形に展示棟が配置されている。
17時閉館のところ16時に着いた。
17時閉館のところ16時に着いた。
チャム彫刻博物館。マカラ(Makara)像。インド神話に登場する怪魚。愛神カーマの旗標であり、ヴァルナ神の乗り物(ヴァーハナ)とされる。カーマのシンボルであるマカラは門や装身具の装飾に用いられた。象のような鼻、とぐろ巻く尾を持つが、イルカやサメ、ワニの類ともされる。水を操る力を持つため、マカラの棲むとされる川や湖、海といった場所(マカラーヴァーサー)が崇拝の対象となった。
チャム彫刻博物館。祭壇。
チャム彫刻博物館。ヒンドゥー教の女神ラクシュミー像。
チャム彫刻博物館。1902から1904年にかけてのミーソン遺跡。チャンパ遺跡はフランス人建築家アンリ・パルマンティエによりフランス極東学院の責任において調査が行われた。また、1902から1904年にかけ、写真家シャルル・カルポーにより300枚のガラス板立体写真が撮影された。その原版はギメ美術館で保存されている、
チャム彫刻博物館。1902から1904年にかけてのミーソン遺跡。
チャム彫刻博物館。ミーソン遺跡の全体模型。
チャム彫刻博物館。ブラフマー神の誕生。ミーソンE1様式。7世紀。砂岩。楣(まぐさ・ドアや窓の上の梁の部分)。この時代はインドとクメール美術の影響を受け、宗教色が強まっている。
チャム彫刻博物館。ミーソン遺跡出土品。
チャム彫刻博物館。ドン・ジュオン遺跡出土品。ドン・ジュオン遺跡はミーソンの約20卞遒諒晋兇砲△蝓▲船礇鵐僂諒教センターであった。875年インドラヴァルマン2世が仏教寺院群の建造を命じた。石碑によると、観音菩薩に捧げられた伽藍は東西を軸に建設され、煉瓦の壁で囲まれていた。大乗仏教の特徴を示す様式で、土着的色合いが強いとされる。
チャム彫刻博物館。ドン・ジュオン遺跡。多羅菩薩(たらぼさつ)。観音菩薩の目から発せられる聖なる光から生まれた16歳の少女の姿の菩薩。
9世紀末~10世紀初頭。青銅製。
9世紀末~10世紀初頭。青銅製。
チャム彫刻博物館。ドン・ジュオン遺跡。多羅菩薩。優美で官能的な姿形は名品といえる。
チャム彫刻博物館。ドンソン文化の宝飾品 BC5世紀からBC1世紀。
中央棟の2階はチャム遺跡以外の文化が展示されている。
中央棟の2階はチャム遺跡以外の文化が展示されている。
チャム彫刻博物館。ドンソン文化の宝飾品 BC5世紀からBC1世紀。
チャム彫刻博物館。金属器。ドンソン文化。
チャム彫刻博物館。小銅鐸。ドンソン文化。1世紀から3世紀。
チャム彫刻博物館。安南焼。
チャム彫刻博物館。安南焼。
チャム彫刻博物館。青花磁器。15世紀。
17時近くに博物館を出た。タクシーを拾い、ダナン中心部のホテルへ到着。翌朝、ホテル上階の食堂からは南シナ海が見えた。日本人ビジネスマンも一人見かけた。ダナン空港9時30分発の飛行機でホーチミンへ10時40分着。
17時近くに博物館を出た。タクシーを拾い、ダナン中心部のホテルへ到着。翌朝、ホテル上階の食堂からは南シナ海が見えた。日本人ビジネスマンも一人見かけた。ダナン空港9時30分発の飛行機でホーチミンへ10時40分着。