シカゴChicagoは1967年にロバート・ラムらによって結成されたバンドを前身とし、翌年にシカゴ・トランジット・オーソリティに改名し、69年に2枚組アルバムでデビュー。シカゴと再改名した70年には「長い夜」が大ヒットを記録し、ブラス・ロックの代表格として人気を確立。その後も幾多のメンバー・チェンジやサウンドのAOR/ポップ化を経ながら、82年の「素直になれなくて」などのヒットを放ち、今も現役で活動を続けている
ブラス・ロック(brass rock)はロックのジャンルの一つで、ロックのアレンジを基調とし、ジャズの要素を加味してトランペットやトロンボーンなどの金管楽器(ブラス)を前面に押し出した音楽性が特徴。1960年代後半から1970年代前半に流行した。シカゴはブラッド・スウェット・アンド・ティアーズBSTと並ぶ代表格の存在で、チェイスが二者に続く存在、バッキンガムズはブラス・ロックではない。
主要メンバーはロバート・ラム(Vo,Key)、テリー・キャス(Vo,G)、ジェイムズ・パンコウ(Tb)、ピーター・セテラ(Vo,Bass)。
深夜寝ながら、深夜のラジオから流れる「25 Or 6 To 4(長い夜)」、「Questions 67 & 68」、「いったい現実を把握している者はいるだろうか」を聴いていた。長尺の曲が多かったので、深夜の特集で流れることが多かった。
「サタディ・イン・ザ・パーク」(1972年)は、日曜日の午後になると、ラジオからよく流れた曲だった。
「25 or 6 to 4」(長い夜)。ロバート・ラムがシカゴのために書いた曲である。2枚目のアルバム『シカゴ』(1970年)向けに録音され、ピーター・セテラがリード・ボーカルを務めた。6月にシングルとして発売され、アメリカのビルボードで4位と大ヒットし、9月までトップ10圏内にあった。日本でも、ほぼ同時にヒットした。
疾走感、ドライブ感、緊張感あふれる楽曲。冒頭のギター・リフがキャッチーだった。ピーター・セテラの2度目の「25 or 6 to 4」の4の絞り出すような声に、今まで聴いたことのない快感を覚えた。ワウワウペダルを利用したギター・ソロも当時では秀逸だった。
曲名は「午前4時の25~6分前」で、ドラッグの分量などいう深い意味はない。
「Questions 67 & 68」。ロバート・ラムの曲。1969年のデビュー・シングル。「長い夜」のヒットにより、短く編集されて1971年9月に再発され、キャッシュボックスで13位。1971年、日本語バージョンが発売されたが、記憶がない。1967年から1968年にかけて、ロバート・ラムがつきあっていた女性との間のことが内容。
「Does Anybody Really Know What Time It Is?(いったい現実を把握している者はいるだろうか)」。
ロバート・ラムの曲。1969年のデビュー・アルバム収録。1970年10月シングル化。
歌詞の後半に、誰もが時間を忘れて、走りまわっているという表現がある。
And I was walking down the street one day
Being pushed and shoved by people trying tobeat the clock, oh, no I just don't know
I don't know And I said, yes I said
People runnin' everywhere
Don't know where to go
Don't know where I am
Can't see past the next step
Don't have time to think past the last mile
Have no time to look around
Just run around, run around and think why
Does anybody really know what time it is
Does anybody really care
If so I can't imagine why
We've all got time enough to cry
「Saturday in the Parkサタディ・イン・ザ・パーク」(1972年)。ロバート・ラムの楽曲。
ロバート・ラムがピアノとリード・ボーカル、ピーター・セテラがベースとバッキング・ボーカル担当。。
ベトナム戦争当時、シカゴはアメリカン・リベラルの有名バンドであり、それゆえに反戦的な意味合いも持っている曲である。ビルボード8位、キャッシュ・ボックス3位。
シカゴのメンバー、ウォルター・パラゼイダーによると、ラムは1971年7月4日、ニューヨークにおけるレコーディング中にこの曲を書く気になったという。
初期のシカゴに学生っぽい曲が多いのは、当然ながら1968年のシカゴ民主党大会の騒乱事件のためだ。ステューデントパワーが国政に異議を唱えた象徴が都市としてのシカゴとなり、CSN&Yのグラハム・ナッシュの名作「Chicago」(1971年)などを生んだ。